「いずれ花になる。(前編)」by Naoki Sasamura


「ゴリラ、ゴリラ」

「デブ、デブ」

毎日のように殴られていた。


ほかに誇れるものが
あったらよかったが、
自分にとっては
難聴の障害がネックになっていた。

勉強もできない。
運動もできない。


ちょっと「絵がうまいね」
って言われていたぐらい。

「お前なんも取り柄ないな」

中高でよく言われたセリフ。

それでうろたえていたら、
決まって

「男のクセに」の追い込み。


桃源郷を目指して、
地元を脱出し、
東京の美大に入っても、
イヤな人は現れる。

同じような目になぜ、
いつも合うんだろう。

絶対何か理由がある。
それを脱却すべく、


色んな人に出逢い、
色んなものに出逢い、

自分と真正面から向き合って、
自己を確立できたのは、
つい最近の話…。


はじめに


初めまして、
Naoki Sasamuraと申します。
大阪出身です。

生まれつき
難聴で耳が聞こえにくく、
補聴器をつけています。


その影響かわからないけど、
神に与えられし、
スーパーアビリティとしては、
読唇術が自然と
できるようになったこと。

いわば、
天性の顔色うかがいマスターなのだ。


少年期


小学校の初期はたしかに
容姿のことで
理不尽にいじめられていたかも。

補聴器の姿をみんなの前で
笑われたこともある。


でも、
自分は欠点のある人間であることを、
決して認めたくなかった。

とはいっても、
勉強も運動も
できるわけではない。

手塚治虫に憧れていたから、
絵はちょっと描けるくらい。

「スパイダーマン」が大好きだったから、
生き物から能力を譲り受けたような、
ばったもんのスーパーヒューマンを
よく描いていた。


「ボーボボ」の影響で、
人物画全員血を吐いていた。

趣味といえば、
小さい頃から映画が好きだった。
幼稚園ぐらいの時に、
大阪にユニバができたことも関係している。


またおじいちゃん子だったから、
毎週日曜日に、
祖父が映画に連れていってくれた。

地元を走る祖父の車の助手席で、
唯一、勝気な態度をとれた。


内容の理解もおぼつかない
物心のつく前から、
戦争系やヒューマンドラマ系など、
祖父に連れられ、
色んな映画を観た。

「ラスト サムライ」で、
祖父が横で号泣していた。
未だ僕は、
その涙の意味を探している。


小学5年くらいから、
自意識が強くなり、
補聴器をつけることが嫌になった。

あえて外して、
学校に行くこともあった。

聞こえていない中で、
音読の順番が回ってきたことも。


もちろんそれに気づけず、
次読む段落すらもわからない。
その度みんなに迷惑をかける。

「なんやこいつ」

ってまたなめられるだけだ。


小学6年に差し掛かるぐらい、
映画館にて、
当時「ロッキー・ザ・ファイナル」
という映画の予告が流れ、

直感で「なんか、観なきゃ」って。

まずはと思い、
「ロッキー」の第1作目をDVDで観た。


衝撃だった。

「お前あきらめんなよ」

そうスタローンに言われるがまま、
「ロッキー」に虜になった。

視野がグンと広がり、
自分は謎の野心で燃えていた。


「とりあえずなんとかしよ」

人生が変わる瞬間て
こういうことだろう。

そして後に映画館で、
「ファイナル」を観た時、
祖父はまた横で号泣していた。


みんなの最愛の祖母を
亡くして一年すぎぐらいだったから、
妻エイドリアンとのストーリーが
重なったのだろう。

その涙の意味は、
当時からわかっていた。


「ロッキー」に鼓舞された自分は、
ムードメーカーになって
巻き返してやろうって、

「イタリアの種馬」になるって。

当時はその異名の
意味すらもわかっていなかった。


大阪らしいが、
当時クラスの催しで
一発ギャグ大会があった。

自分にとって大チャンスだった。
みんなが振り向くまで、
お笑い芸人のモノマネをひたすらしまくる。
これを繰り返す、繰り返す。

気づけば普通の人間関係を
徐々に取り戻すことができていた。


後編に続きます。

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