「全てを手にしたはずなのに」 I Hate, I Love by Soesbe


先日「今夜くらべてみました」の2回目の出演をしてきた。


朝にまず、丸の内のビル内にあるコーヒーチェーンへ。去年ちょっとバイトをしていたので仲良かった人たちに挨拶がてら。
そのまま人の少ない銀座をコーヒー片手に歩いていたら、イヤホンから映画「プラダを着た悪魔」の冒頭、ニューヨークを駆け回るOLと共に流れる”Suddenly I see” が流れた。
日テレに着き、受付の女性に入館証をもらい、「楽屋の行き方はご存知ですか?」と聞かれ「わかります。」と言い楽屋へ。
メイク室では共通の知人がいる方におしゃべり三昧でメイクをしてもらい、共演する皆さんの楽屋へ挨拶を済ませてからスタジオへ。
本番も想像以上にリラックスして話せたし、大好きな女芸人さんとは隣の席で共演できただけでなく、収録前後に雑談までしちゃった。
収録が終わり、その足で日テレからNHKへタクシーで向かう。お昼を食べる間もなく衣装に着替え、宇宙人と天狗役のヘアメイク&撮影。


…こうやって書くと昨日は子どもの頃に憧れていたいわゆる”タレントの1日”を過ごせた日だった。文章にすると余計鼻につく1日ね。
あああやだ恥ずかしい。

夢の様だった昨日を思い出し、これといった反省点は特にはないが何かがしっくり来ず少し落ち込むものがある。なんだろう。


そういえば3年前のちょうど今頃、局外の大人とアレコレあって、日テレ内ではなんとか笑顔を保ったが、ゲートを出た途端に号泣し親友に電話したんだった。市ヶ谷まで歩いちゃって、電車に乗る頃には自分のために一度業界から身を引く事を決意し、帰ってすぐに実行した。
その数ヶ月後に今の事務所が傷だらけの迷える私を奇跡的に拾ってくれたんだけどさ。


3年前、もう2度と足を踏み入れられないと思っていた日テレに、今は恩だらけで大好きな事務所との強い連携プレーにより、営業周りではなくまさか出演者として戻ってこれたのだ。

日テレは17歳の頃に洗礼を受けた苦い青春の思い出だが、昨日は大きな問題なく収録を終えられた。素直に言うと、めちゃくちゃ楽しかった。
昔とは違い生き甲斐がテレビだけではなくなったので、余分な期待もないし、「嫌われたくない」精神もなく、好き勝手発言させてもらえている。出演者だからか、17歳当時と違い建物内の皆さんが優しく見えた。


学生時代の夢を思い出す。
*細く長くテレビに出られるタレントになりたい。
*ポニーテールをしてみたい。
*痩せたい。
*趣味が欲しい
お陰様で全て叶っていたことについ先ほど気がついた。
まだ伸び代はあるし、満足することはありえないけど、過去と現在をこうやって振り返ると昨日はドリカム続きで幸せな1日だった。

ただね。やはりなんか違うのよ。


昨日の収録を終え改めて気がついたことが1つ。
自分には「可愛げ(かわいげ)」が絶望的にない。
可愛げはTVで売れるために必要な要素だと誰かに教わったことがある。もちろん格好や話し方などの表面的な話ではなく、腰の低さや健気さ、
要は「不幸そう」な要素である。
自分にはそれがTVに映るとまるでない様に感じる。


でも心外。実際のソーズビーは全く「不幸そう」な人間。
自尊心など小学時代から低いし、勉強ができない、モノを知らない。
人と話すのが好きなのも、沈黙が怖くて耐えられないから、それは人に嫌われたくないから。
話して沈黙を失くし、ついでにモノを知ろうと必死なの。
加えてワタクシ、満21年間独身一人っ子です。
誰が憧れるの?こんな人生。
なぜ自慢にもならんことを偉そうにツラツラ書いてんのかしら。


TVでポニーテール姿でギャーギャー言ってんのも”見世物”感のつもり。素の自分で十分に不幸要素を丸出しにできてると思っていたが、人によっちゃTVに映るソーズビーがたくましく見えるみたい。あんたたちオカシイよ。

「僕には可愛げがないですからね。そりゃオファーも来ないですよ」と昨日スタジオで言ってしまった。
(こんなクソ生意気発言使われるかな?)
なぜこんなにも可愛げがないのか?
そう考えていると、今までの努力はなんだったんだろうとか、昨日の収録はあれで良かったのか、と下らん悩みが終わらず落ち込んできちゃった。


やはり3年前の洗礼を思い出す。
17歳の夏休み、大人のコネで憧れの日テレに営業しにきた私は民放デビューを夢見て期待していた。
「テレビ局に一足入れば世界観が変わる。」
「タレント達の楽しい舞台裏がみれる。」
「パワフルで煌びやかなテレビ界の刺激をついに!」
全て外れた。人々の顔は疲れ果て、タレントは完全にOFFモードで、スタッフ同士の上下関係は如実だった。


でもこれは残念ながら普通。どの会社もそのはず。
結局芸能界は雲の上にある世界ではなく、ただの民間企業にすぎないことを目の当たりにした。

しかし幼い頃より、テレビに絶大な恩恵と羨望を持っていた17の私はその現実がとても寂しかった。受け入れて利用すりゃ良いのに「今日こそはあの建物で輝くぞ」と懲りなく意気込み、放課後に毎週通って営業へ行った。
通り過ぎる人みんなに嫌われているのではないかと勘違いするほど、過剰な自意識。痛々しい。


そしてXデーはきた。一緒に営業回りをしていた残念な大人達から残念なお話をされた。要はリストラ。
しかも日テレ内のコンビニのベンチで言われた。そんな重要な身内話を関係のない日テレの雑多で話すか?
質問をしてもアレコレ言ってるが答えになっていない。国語じゃない。
しかし残念なことに力をもってるのはアチラ。
(3年経った今もこうやってオブラートに包んだ文章を書かなきゃいけないのよ、複雑なんです。すごい世界よね〜。)
今までの努力はなんだ?散々我慢もした。自分は悪くないのに代わりに先方に頭を下げなければならないことも超あった。
銀座で号泣しながら親友に電話して市ヶ谷まで歩き、一旦業界から身を引くと決めたのはその日。
今では「負けるが勝ち」というのはこーゆーことなんだなと思えるけどね。


どいつもこいつも。
当時にそうブーたれていた私に尻軽の親友がこう刺した。
「あんた、人に期待しすぎじゃない?」
テレビに出ればとか、仕事のできない大人とか、アドバイスしかくれないプロデューサーとか…
「気持ちはわかるけど、今の自分を幸せにできていないあなたはそれらを得て幸せになれるの?」
”自分の願望を環境に押し付けている期待”
と全く正しくショッキングな指摘をしてくれた。あまりに図星、もはや爽快。その日から「人に期待しない」と心から誓ったのだった。


ところが現実をご覧ください。
それ以降、LAでの悲惨な生活も、マニュアル人間にガッカリしたコーヒーチェーンでのアルバイトも、自分の可愛げのなさを痛感した昨日の今くらの収録も、今でも期待と絶望のサイクルを繰り返しているソーズビーでした。
だから私は胸を張って言う。

満たされることはない!

だからあなたも自分に聞いて欲しい。
あなたの憧れるその収入は、地位や名声は、留学は、ブランドのバッグは、恋しいあの人は、なぜあなたに必要なの?


断言する。手にしたところであなたは変わらない。
なのでそれらを手にすることであなたは何を得られ、
あなたの生活にどんな影響を、何の為に与えられるのか?
今一度ご検討ください。最終的に変更しても全然OK。

身の丈にあった仕事をして、金を稼いで、飯を食う。
これ以上何がいるのよ。
余裕ができたら必要な分だけアップグレードすればいい。


実は私、もう十分に恵まれています。幸せであることを認めます。
まだまだ弱いし、怖いし、欲求不満でもあるけど、幸せに戦う環境を頭使って作りました。
どうせ可愛げの全くないワタクシ。
でもね、今の環境を潰すくらいならば生意気上等です。

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