「いずれ花になる。(後編)」by Naoki Sasamura

青年期


中学も、
この感じでいけばいいんだ。

自分は絵にちょっとだけ
自信があったから、
このまま美大を目指すぞって。

そんなうまい話はない。

挫折の矢がどんどん
降ってくることを知らずに、
中高一貫の私立に入学。


中学では、
補聴器をつけていることを
周囲に隠していた。
聞かれたら、答える。
ぐらいなスタンスだった。

あえて髪の毛を長くし、
毎朝スプレーで耳が見えないように、
ガチガチに固めていた。

小学校の時の傷を
まだまだひきずっていた。

その結果、
周囲とのコミュニケーションの食い違いから、
だんだんと信用を得られなくなる。

そこは有名大学にいける人が偉い。
みたいな環境だった。


「なんで美大目指すん?、無駄やん」

よく言われていた。

自分は周りに流されやすく、
美大を諦め、普通に勉強をしていた。
成績は中途半端以下。

それでも馬鹿にされようが、
映画、音楽、アート、
サブカルチャーなど、
隠れるようにのめり込んだ。


途中で、あの祖父に連れられ、
「ロッキー」のロケ地にいくこともできた。

ロッキーが登った階段の上で、
自分の視野がまた広がった感じがして、
より色んなカルチャーを吸収するきっかけに。

でも現実ってものは
すぐにやってくる。


高校に上がると、
一層進学バチバチの環境になり、
教室の後ろに貼ってある
各模試の偏差値表が、何より嫌いだった。

このとき、
軽音楽部と美術部を兼部していたが、
赤点を一個でもとると、部活禁止のルール。
もちろん、高校の途中から
部活なんてできなくなった。

周囲のマウントのターゲットになり、
毎日ストレスだった。


フィレオフィッシュが100円になると、
5〜6個は買って自分を愛した。

でも勉強はあんまりしたくない、
もっと趣味とか部活に没頭したい。

途中からそいつらのために
勉強している感じがした。

でも、
自分は好きなことだったら、
一生懸命になれるということを
実感したのは、

好きな世界史だけ
なぜかフルに勉強でき、
模試で偏差値70をとったこと。
他は30~40くらい。不器用すぎる。


周りの会話も趣味とかではなく、
偏差値や入試の内容が、
大半になってしまった時に、

「もうここ終わったな」

高校2年のときから、
不登校を繰り返す。
高校3年になっても変わらずで、
現役では大学を一つも受けずに
高校生活が終わった。

そこから、
美大受験用のアトリエを見つけるまで、
引きこもりがずっと続く。


途中、普通の予備校に行ってみたけど、
なんか自分のためにやっている感じがしない。

朝昼晩と、
大好きなポテトを中心とした
ジャンキーな生活を送るようになり、
気づけば、体重が120キロを超えていた。

引きこもっていたとき、
膨大にある時間だけを埋めるため、
色んなカルチャーに没頭していた。


特にお笑い番組。
毎日毎日、絶対みていた。

ダウンタウン、
松本人志さんの番組が多かった。

「すべらない話」
「ガキの使いやあらへんで!」

などなど。

自分もいつかこんな感じで、
トークで大爆笑をとりたい。
でも誰も話す人がいない。

ある日、
お風呂から上がったあと、
母からこう言われた。

「あんた、誰と喋ってるの?」

お風呂場で、
ひとり何役も演じて会話していることに、
そこではじめて気づいた。

ひとり落語状態。

今でも自分は、
そんなに話が上手な方ではないけれど、
人と話をするのが好き。

いまだに独り言が多いのだ。


「大学こそは」

大学に入っても、
小学校の時みたいな人は現れた。
耐性がつきすぎている自分と、
ちょっとだけそこにひっかかる自分との
差によく悩んでいた。

高校とは違って、
色んなことが自由にできて、
ユートピアにいるはずなのに、
なぜかしんどい。


漠然としたしんどさをかかえながら、
大学後半になり、
途中の人間関係のもつれで、
ある日から自分は、
ロクに寝ることができなくなっていた。

卒制の時期とジャストだ。

まともな生活を送れない中で、
課題の制作なんてもってのほか。

諦めなのか、
「もういい!!」って
デザイン科なのに、
自分はバチバチのアートを出した。
それでも卒業できた。


なんか生きづらいなぁって。
それを隠すため
あえて尖っていたけど、
ギャップまみれで余計しんどい。

20才そこそこの時から、
カート・コバーンみたいに
27才で死ぬんだと本気で思っていた。

でもそれは、
その年頃のロック好きが必ず通る
精神世界に入っているだけなのかなと。


卒制直後、
周りに勧められて病院にいくと、

「双極性気分障害です」

カートと同じだった。

それっぽいかな
って思って色々調べていたし、

不安感を埋めるため、
浴びるほど“Lithium”を
リピートしていた時期だった。

だけどその一言を聞いた時、
なぜか絶望ではなく、
安心感と希望に満ちあふれていた。


活力みなぎるまま、
しんどさの原因を探ろうと、
哲学、自己啓発、カルチャー系の
あらゆる本を読み、
過去から今までの自分と、
とにかく向きあった。

途中で
ある言葉に出会って、
人生観が大きく変わった。

「最後は人間性や」

これは桂米朝さんという
上方落語の噺家さんが、
似たようなことを、
どこかでおっしゃっていた。


彼が尊敬している、
日本文楽を牽引された
竹本住大夫さんも、
同じようなことを
おっしゃっていたそうだ。

「最後は人間性や」

これを息をするように唱えていた。

あまりにも言いすぎて、
持ちギャグだと勘違いされていたし、

「人として浅い」

ってよく言われたけど、
これだけは全然気にならなかった。

この言葉には、
体全身を包み込むような、
愛とエネルギーが詰まっていたから。


唱えるだけで
めちゃめちゃ救われたし、
幸福感でいっぱいになった。

実際、これまでに、
色んな人に迷惑をかけたと思う。
離れていった人も
たくさんいるかもしれない。

でもだんだんと
何かを掴みかけていた。


さいごに


ここまで、
半生のほんの一部分だけを
書き連ねてきた。

そして、
最近までの3年間、
自分と真正面から向き合って
気づけたものとは。

「自分のことを大事にしてくれない人からは、離れること。」

弱みを見せて去っていく人なんて、
なおさらその程度の関係だったんだ。

普通だと思っていたけれど、

あれは知らずとマウント取られていたのかな。

あれはフェアな人間関係じゃなかったのかな。

って後になってやっとわかる。


その人達にしがみついてしまうのは、
過去のコンプレックスの積み重ねによる
極端な自信のなさからだった。

でもそれを自覚できたおかげで、
どんどんその人達から
離れることができている。

今はというと、
彼らに感謝している。

おかげで大きなハートを手に入れられたし、
本当に優しい人を、
ちょっとだけ見極められるようになれたかも。


自分にとって最大の幸せは、
健全な人間関係を送ること、
ただそれだけだった。

自分はまだまだ弱いし自信がない。

また
「生きていたらいい事ある」
なんてことも、
偉そうには言えない。
その言葉でたくさん傷ついてきたから。


しんどくなったら、
いつものように、


「グッド・ウィル・ハンティング」の、
ベンチに座っているシーンを
何回も何回も観て、
ロビン・ウィリアムズに
鼓舞してもらうだろう。

アンソニー・ロビンズの、
本を何回も何回も読むだろう。

「ロッキー」のEye of the Tigerを、
信じられない音量で
何回も何回も聞くだろう。

側からみたら、
大丈夫かってなるかも。

でも今までそれで
なんとかなってきたから、
きっとこのままでいいんだ。


少年期に
「ロッキー」に出逢い影響され、
ツラさの埋め合わせに、
これまで色んなことを吸収してきたから、
今の仕事や趣味、
アーティスト活動の糧になっているし、

浪人時代のエピソードなんか、
初対面の人には必ずウケる。

失敗や挫折は、
長い年月をかけて、
いずれ花になる。


あと自分は、
本当に本当に運が良かった。

顔色うかがいマスターだから、
優しい人と深い関係を築くことができ、
ここまでやってこれた。

自分ひとりの力なんかじゃない。
めちゃめちゃ人に恵まれた。


そして今、
自分のことを
心から愛してくれる人達に
囲まれていると実感。

しんどかった時に、
何度も何度も助けてくれた。

大切な仲間ができた。

兄弟と呼べる人ができた。

優しさに優しさで
返してくれる人は絶対いる。


自分がやるべきなのは、
その人達を大事にすること。

いつか、
時間はかかるだろうけど。

顔色うかがいマスターとして
人一倍気持ちがわかる分、

普段生きづらい思いをしている人に、
少しでも寄り添えられる
人間になれたらいいな。

自分を大事にしながらね。

「最後は人間性や」


ここまで読んでいただき、
本当にありがとうございました。

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