変化しろ、渋谷


渋谷に住んで10年が経ちました。富ヶ谷や神山町に住んだ後、現在は渋谷駅から徒歩数分のほぼ駅のようなマンションに居を構えています。アクセスは非常に良いのですがその利便性とは裏腹に、生活環境としては「結構なクソ」といっても過言ではありません。


ほぼ毎日、北関東からさっそうと明治通りに現れる魔改造バイク、横浜方面からくるウェッサイなデカ車(ナンバーで北関東やら横浜から来てるのは視認済みです)が闊歩するので、静かな時間を過ごすことは難しいです。そして街中に散らばる吐瀉物の数々。それらを避けながら歩いて自分のマンションにたどり着く日常は。そんなに悪くはないです。
時折、酔っぱらいで道端に倒れている人を見かけると心配になりますが、コミュニケーションを取るのは難しく、ただ見守ることしかできません。たまに水は置いてあげるのでお地蔵さんみたいなものですね。


そんな渋谷には独特の文化が根付いています。これは誰かが意図的に作り上げたものではなく、自然発生的に形成されたものです。もちろん西武グループや東急の開発はその時代を象徴するものですが、CISCO坂に見られるようなストリート文化等はみんなが主体性を表現した結果でした。


渋谷の街はさまざまな人々が集まり、その中で生まれた文化がmixして出来上がったものです。地形的なものもあると思います。谷の底というのは水の流れと同様に人が集まりやすい。街の底に漂う湿り気みたいなものが、なんだか美しいですよね。ただ、近年の大手デベロッパーと東京都や渋谷区の結託による開発は、このカルチャーを壊しかねないものとなっているように感じています。無味乾燥なフェイクグリーンが生えたコンクリートの塊が次々と乱立し、中身を開いたら外資系ばかり。同じような雑貨屋、シアトルのこれまたグリーンのコーヒー屋、大手資本のネオ居酒屋。


たとえば、MIYASHITA PARK。ローマ字がSUTEKIDESUNE。公園とは言い難いというか。PARKだから良いんでしょうか。消費の街という側面もあるのだけど、消費させるだけの建造物のどこが魅力的なのかわかりません。


渋谷は、東京の中心地として多くの人々に語られる場所です。ここに10年間住んでみて、街の開発や特定の人々への排除、ゴミの問題、そしてハロウィンの混乱など、多くの課題を目の当たりにしました。土地に根付いたカルチャーとマッチしない、上からの押しつけのような政策を行っているように感じます。しかし、ボトムアップで築き上げられた文化は依然として息づいています。高架下で、のんべえ横丁付近で、ビルのふもとで、若者たちはストリートでラップやダンス、TikTokなどを楽しみそして酒をかっくらい、この街の魅力を新たに形作っている。若者ってやっぱりかっけぇ。


「変わり続けることが渋谷よ。変わらなかったらそりゃ、渋谷じゃないんだから」。


これは神泉にある焼き鳥屋のママが生前、わたしに遺してくれた言葉です。ママは渋谷で生まれ渋谷で育った重鎮で、90年近く街を見続けていました。一時的に疎開していた千葉の田園風景が忘れられないとよく話してくれました。大都会渋谷そのものだったママ。天国に行ったら最新の渋谷情報をツマミに酒が飲みたいですね。


ママの金言のように渋谷にいる限りは変化を否定するつもりはありませんが、その変化がどのように進むのかが重要です。カルチャーを大事にし、地元の意見を取り入れ、ダサい開発をせずにボトムアップ型の街づくりを目指してほしい。そこに住む人々、外国から来た人々、地方から遊びに来た人々、あらゆる障害をシームレスにし、全てが共存できる街。それが変わり続ける渋谷の姿だと信じたいです。


2024年7月7日に東京都知事選が行われます。


東京都知事選を通じて東京全体が少しでも、多少でも良くなり、渋谷がさらに魅力的な街になってほしいと願ってやみません。変化を恐れずに進化してきた渋谷。望むのはその進化が上からの押しつけではなく、街の声を反映したものであることです。

表面的なイメージ戦略や短期的な対策ではなく、持続可能で包括的な街づくりをやってくれ渋谷、東京。




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