「7歳で難病になった少年がアメリカで会計士として働くまで」by Shelly


人生、自分がなりたいようにならないことも多々ある。

望んだもの全てが手に入らない、それが人生だ。

私は今日、お惣菜を3品作り、掃除機をかけて、ゴミ捨てをし、
午後にはゆっくりと子供達とお昼寝をする予定だった!

だけど実際はこうだ。

子供のこぼしたお昼ご飯を拾いながら、ふと横を見るとゴミ袋が大渋滞。

お惣菜は1品しか作れず、掃除機もかけられていない。

「はぁ〜、もっといいママになれたらなぁ」

と思いながらカシューナッツを頬張っている。


自分の思い描く理想の1日を過ごせなかったとしても、私なんかはお気に入りのナッツさえ食べちゃえば「まぁ、明日がんばろう〜」てな感じでなんとかなる。

しかし、夢と希望に満ち溢れた理想像を持っている人たちはどうだろう。


「かっこいい大人になりたい!」

「お金持ちになりたい!」

「プロスポーツ選手になりたい!」

未来像を綿密に練れば練るほど、うまくいかなかった時の後悔の大きさもイコールなのではないか。

「夢のために、あれもしない。これもしない。」

「こうじゃなきゃダメだ。」

どんどん自分に厳しくなり、ある日突然プツンと何かが切れる。

「あぁ、もう無理。」って。

こういう後悔とショックは人から笑顔を奪う。

じゃあ夢を追いかける中でどう生きていきゃいいのさ!

今日はそんなお話し。


さて、まずはこのテーマにぴったりの友人を紹介したい。

彼の名前はエイジ。私の同級生で古くからの友人だ。

困っている人がいたら真っ先に助けようとする優しいヤツ。そして誰よりも努力家だ。

「俺の人格はバドミントンを通して培われたと思う。」

と彼は言う。


小学校5年生から高校を卒業するまで、バドミントンに人生を捧げてきた。

同じ公立の商業高校に通っていた私たちはお互いスポーツ一筋。
練習に明け暮れる日々を過ごしていた。

ちなみに私はバスケ部だったのだが、体育館を行き来するためバドミントン部の練習を垣間見ることが多々あった。

それはもう、凄まじい練習量なのだ。

いつ見ても滝のような汗を流しながら練習をしていた。

ちなみに、私たちの高校はあらゆる部活動で全国大会の常連校。
とにかくスポーツに長けている学校だった。

その中でもバドミントン部は輝かしい成績を収め続けており、練習の厳しさも伴っていた。

にも関わらず、エイジはずば抜けて成績がよかったのだ!

簿記といえばエイジ。

クラスの成績第1位といえばエイジ。

なのに、夜一番遅くまで残って部活に打ち込んでいるのもエイジ…

天才なのか!?と、羨ましく思っていた。


そんな彼は現在なんとアメリカ合衆国にて会計士として働いているというではないか!

しかも大手税理士法人の「BIG4」と謳われる世界規模の巨大な会計事務所で働いているという。

エリート街道まっしぐら!羨ましい限りだが、実は彼の輝かしい人生の裏側には壮絶な過去があった。

「俺、難病だったんだよ。小学校1年生の頃、ほぼ入院していて学校に行けなかったんだ。」


私は驚いた。

高校時代信じられないほど厳しいバドミントン部の練習をこなしていたエイジしか記憶になかったからだ。

あんなに運動ができた彼が、いったいどんな病気を患っていたのか。

「実は、小学校1年生の時に“再生不良性貧血”っていう病気になったんだ。結果的には治ったんだけど、当時は本当に何もできなくてつらかったな。その病気は難病指定されているくらい恐ろしいものなんだ。」


“再生不良性貧血”とは血液中の白血球、赤血球、血小板のすべてが減少する疾患だ。

治療しても状態が改善されない激症例の場合は死に至ることもある恐ろしい病気である。

「そりゃもう辛くて。何にもできないからね。友達と遊ぶこともできない、話すこともできない、病院から出ることもできない。いつもベッドの上にいたからね。

でも、うちの母親がいつも看病してくれてたんだよ。

うちさぁ... すごい貧乏なんだよ。それは幼いながらに理解してたんだよね。しかも俺だけじゃなくて、父親も兄貴も姉貴もいるのにさ。家のこと大変なくせに、ずっと世話してくれたんだよな。」

一言ずつ、当時の記憶を噛み締めるように語ってくれた。
苦しかった想い出に違いない。

しかし、彼はこう続けた。


「この時期に学校に行けず友達と遊べなかったこと、確かにすごく辛かったんだよ。でもさ、そのおかげで運動できる喜びとありがたさを誰よりも感じることができたんだよね。

何より母親の、家族のありがたさっていうのをすごく理解した。『母親にこんだけ世話してもらったんだ。今後苦労させることはしちゃいけないな』ってね。その意識はどの年齢の時も常に頭にあったかな。」


治療が成功し、小学校に行けるようになったエイジ少年は毎日が楽しかったという。

青春時代の全てを注いだバドミントンと出会ったのはこの頃だそう。

「小学校5年生の時に、友達の間でバドミントンクラブに通うのが流行ったんだよ。地元のクラブチームで、そこのコーチのご子息が当時の全国1位だったんだ。日本一の選手のお父さんに教えてもらえるんだ!すげー!俺も習ってみたい!って思ったね。

あとさ、まわりの友達たち皆その習い事に通ってたんだ。羨ましかったんだよね。習い事行ってるんだーって、俺言ってみたかったんだよ。

母親に無理言ってお願いして、通わせてもらえることになった時は本当に嬉しかったなぁ。だいたい2万円くらいだったかな、ラケットと靴、あとTシャツ1枚買ってもらって。

俺の体が弱かったから、俺のわがままはなんでも聞いてやりたいって思ってたんじゃないかな。さっきも言ったけど貧乏だったからさ。月謝もラケット代とかしんどかったと思うけど、何も言わずにお金出してくれたなぁ。」

家族のサポートのおかげで、エイジ少年は週に2回バドミントンクラブへ通えることに決まった。

ちなみに、彼は高校卒業までバドミントンを続けるのだが、彼の周りには桁違いに強い選手が常にいたという。全国大会常連の選手たち、また全国1位の選手も。


「俺の周りに常にめちゃくちゃ強い選手がいたんだよ。

幼いながらに『敵わないなぁー、俺ってセンスないなぁー』ってのは、結構早い段階で気付いてたんだ。だから、将来バドミントン選手になりたいとかはあんまり思わなかったかな。夢を全くみてないってわけじゃなかったんだけど、何となく俺はその道じゃないんだろうなぁってのは感じてたかな。

だけどさ、1位になってみたいって気持ちはすごくあったんだよ。

強い選手が周りにいたから、それに憧れてた。しかも俺はラッキーで、強い選手たちがどんな風にプレーしてるのかいつも学べる環境に恵まれてた。いつか1位になるんだ!って一生懸命練習に明け暮れてたね。

もしかしたら、あの入院がなければそうは思えなかったのかもしれない。母親が習わしてくれてるんだと思うと、妥協するのは失礼だと思っていたし、運動できることは幸せなことだって感じていたからね。」


中学に進学してからも、彼はバドミントンに明け暮れた。毎日、毎日とにかく練習した。

「中学3年生の時、実はキャプテンだったんだよ。その時念願の全国大会に出場できたんだ。俺、すごく嬉しかったんだよ。自分の実力で、全国にいけた!って。

これが多分俺の初めての成功体験だったんじゃないかなぁ。『あぁ、努力したら1位になれることもあるんだ』って。

1位っていいなって思ったなぁ。」

中学全国大会への出場を決めたエイジ。

彼はその成果を認められ、バドミントン強豪校への推薦入学を果たした。

「推薦入学とはいえ、面接はあるんだよ。だから対策を立てるため、先生に質問したんだ。

『先生、面接では将来なりたい職業を聞かれるんですよね?なんて答えたらいいんですか?』

そしたら先生はこう教えてくれた。

『将来なりたい職業は必ず聞かれるだろうな。ちなみにお前が行く商業高校でなれる1番よい職種は“会計士”だ。』

だから俺は面接で会計士になりたいですって言っただけで、実はまだ本気でなろうとは思ってなかったんだよね。バドミントンのことしか頭になかったからさ。

ただ、“1番良い職種”っていう響きは気に入ってたのかもしれないなぁ。」


彼は高校入学後もバドミントンの練習に明け暮れた。冒頭でも話した通り、ものすごい練習量をこなすエイジを私も覚えている。

「高校に入ってからは、さらに強い選手たちがごろごろいたんだよ。必死に練習したけど、『あぁ、俺にはここまでのセンスはやっぱりないなぁ』って思ってた。悲観してるとかじゃなくて、現実を受け入れてたって感じかな。

だからといって手を抜く事はしなかったよ。一生懸命になることは恥ずかしいことじゃない、強くなるには全て自分次第!やってみないと分からないからね。」

バドミントンに青春時代の全てを注いだエイジ。高校3年生になった頃、彼に転機が訪れる。

「商業高校だからさ、簿記って必須でしょ。毎日勉強している内に、簿記の勉強が結構好きだなぁって気づき始めたんだよ。」


簿記の授業、筆者の私はとても苦手だった。本当に難しいんですよ。

私は高校3年生の頃、ヒィヒィ言いながら寝ずに徹夜で必死に勉強して、全商簿記検定の1級を取得した経験がある。この試験もかなり難しいものなのだが、なんと彼は高校2年生の時に取得していたという... しかも独学で。

さらに難易度の高い日商簿記検定の2級にも、高校3年生の頃に独学で勉強して受かっているというではないか。

あれだけキツイ練習しながらいつ勉強してたんだよ...

私の質問を予期したかのように、彼は続ける。

「授業のペースだと全然遅くて、先に自分で勉強してたんだよね。授業中にその先をやるにつれ、なんか楽しくなってきて。

どんどん空いた時間に自分で勉強をするようになって、気づけば日商簿記にも受かってたって感じ。

自分でいうのも変なんだけど、バドミントンで得た経験が俺の粘り強さに繋がってると思うな。あと、1位にやっぱ憧れがあるんだよね。忙しい毎日だったけど、勉強にも力を入れていたし、クラスの成績も常に1位を目指していた。

その努力が身を結んで、大学にも推薦でいけることになったんだと思う。」


当時、私たちが通う高校には3つの学科があった。

英語・プログラミング・ビジネスにそれぞれ特化した学科があり、彼はビジネス学科に属していた。

残念ながら学科のランクではビジネスは一番下。彼がどんなに優秀でも、大学の推薦枠の上位を選ぶことはできなかった。

「流石に上位の大学は他の学科の人たちで埋まるよなぁってのは理解してたよ。

ただ大学に推薦でいけることになった時、素直に嬉しかったな。努力って報われるんだなぁって感じた。

俺は自分が選べる推薦枠にある1番上の大学に通いたいと思ったんだ。

後々俺が選んだ大学を調べたら、会計学科ってのがあったんだよ。そこで初めて、『簿記好きだもんな。日商簿記1級を次は目指そうかな』って思ったんだ。」


その年の春、彼は晴れて某有名大学の会計学科へ入学することとなった。

「会計学科には入門クラスと特進クラスを選べるシステムがあるんだけど、俺は日商簿記2級を既に持っていたし、特進を選んだ。

300人程度いる中でこの特進クラスを選んだ人は確か20人くらいだったかな。しかも最後には俺を含め3人だけになっていた。そのくらい難しいカリキュラムなんだ。

朝から晩まで、週末も関係なくひたすら勉強。地獄のように厳しい毎日だったんだけど、バドミントンへの熱が勉強に移り変わった感じで燃えてたね!やっぱりここでも1番になりたくて、必死で勉強した。

大学生だから、もちろんサークルの勧誘もあるし友達ともっと遊びに行きたいなぁって誘惑もあったよ。でも、負けなかった。1番になりたいっていう情熱も大きな理由の一つなんだけど、一番は親への感謝かな。

俺の大学の学費は、親が出してくれたんだ。大学生にもなれば、おおよその親の収支とかが分かるわけで。あぁ、うちって本当貧乏なんだなぁと思ってた。でも捻出してくれてたんだよね。

応援してくれる親を失望させるようなことは絶対にしたくないって意識が強くあったね。あと、県外の大学に進学したから、もしも親に何かあったとしてもすぐに帰れる訳じゃない。もしかしたら、親の死に目に会えないかもしれない。そのくらいの覚悟を持って、今できる精一杯のことをやろうと本当に勉強を頑張ったよ。」


彼が通っていた特進クラスの学費は年間で8万円。充分大きな金額だが、2年目以降はなんと年間90万円の学費へと跳ね上がる。

「この金額は親には甘えられないと分かっていた。」

しかし、バイトをしながら学費を捻出する方法では、勉強する時間が減ってしまうので選択肢の中には無かった。

会計士になるのってそんなに難しいの?

って声が聞こえてきそうだが、その通り。ヤバイんです。めっちゃくちゃ難しい。

公認会計士試験は、「短答式試験」と「論文式試験」の2段階に分かれており、そのどちらにも合格しなければならない。

一次試験として最初に受験する「短答式試験」はマークシート方式の試験であり、1年に2回実施されるのだが、「論文式試験」は年に1度のみ。

なんと当時の合格率は驚愕の約9%だとか。学習の時間が合否に大きく影響することは明白だ。


さて、エイジには2年目も特進コースに入るための秘策が1つだけあった。それは『奨励生に選ばれること』である。学年で1人だけ奨励生に選定され、学費90万円の内9割を学校側が負担してくれるという。

なんと彼はそれに選ばれた!

「この奨励生の枠を取るために必死で勉強しまくったよ。選ばれた時は本当に嬉しかった。だけど、ここからが本当に地獄の日々だったよ。

この制度は学校プラグラムの一環だから、毎週テストの点数を共有したり、成績を報告したりする義務があるんだよね。

しかも、このプラグラム制度の生徒で在学中に会計士の資格を取れた人っていうのはいないらしくてね。だから、かなり期待されてたんだ。」


エイジは何としてでも大学生2年目で合格しようと奮闘した。3年目に突入してしまうと、奨励生の枠から外れてしまい、学費の全額負担は免れないからだ。

「親のためにも、これは絶対に受からないといけないと思った。

寝る間も惜しんで、自分ができる最大限の時間を使って勉強した。こんなに人生で勉強したことないってくらいに勉強したんだ、本当に。」

しかし、彼の努力を嘲笑うかのように、彼は一次試験に落ちてしまった。しかも数点足りなかっただけだという。

「試験に落ちてしまった。しかも点数ギリギリで受からなかったことを知った時、この世の終わりだってくらい落ち込んだよ。あれだけ勉強したのに無理だったんだって。」

彼は、会計士の道を諦めるしかないと思ったという。これだけ努力をしたのにダメだった。もう無理だと思った。

「抜け殻のように、相当落ち込んでたんだろうね。その時さ、友達が『エイジはよくやってるよ。すげえよ。でも、しんどいなら辞めたっていいと思うぜ。とりあえず今日は遊びに行こう。』って声をかけてくれたんだよね。

『よくやってるよ』って認めてくれたことも、『しんどいなら辞めたっていい』って言ってくれたことも嬉しかった。人生で味わったことのないくらいの挫折だったから、一人で居なくてよかったって思う。友達の優しさに救われたなと思うよ。

でもさ、面白いもんで勉強したくなってきたんだよね。ウズウズするんだ。勉強するのが当たり前になってたから、自然とまた自分で机に向かうようになったかな。多分落ち込んでたのは1週間くらいだったと思う。」

ははは、と笑いながら彼は続ける。


「実はその時先生にも呼び出されたんだよ。そしたらさ、笑顔でこう言ってくれたんだ。

『君は真面目で成績も良くて、今回の試験もほんの少しだけ点数が足りずに落ちてしまった。

だから、異例ながら君を再び奨励生に選定できるか掛け合ってみようと思う。外部の上級コースへ通学させてもらえるよう話し合ってみることにしたよ』って。

俺、飛び跳ねるくらい嬉しかったんだ。しかもさ、先生が続けてこう言うんだ。

『この奨励生プログラムで在学中に試験に合格した生徒はいないはず。だから君に是非在学中に合格してもらいたい!期待しています!』って。

友達に励まされ、先生に励まされ。いい意味で期待もされている以上、もう俺は後には引けないなって思った。

正直、日商簿記1級が取れたらいいかと思っていただけだったんだけど、この時に俺は絶対会計士になるんだと覚悟を決めたよ。」


大学3年生の彼はその年の12月に一次試験に合格した。

大学4年生になった8月、二次試験にも受かり、見事大学在学中に会計士になるという目標を叶えたのだ。

大学の奨励生プログラムを通して合格したのは彼だけだった。

卒業式には、なんと卒業生代表として壇上へ立つことになった彼。

彼とは別にもう一人選ばれていたのだが、高校時代に切磋琢磨したバドミントン日本一の仲間だったという。

「本当に嬉しかったよ。高校時代の仲間と卒業生代表として卒業証書を受け取ったことも感動した。ただ、あんなに苦しくて必死だった日々はないね。


人生色々あるよね、いいことも悪いことも。みんな言わないだけでさ。

俺が思うのは、失うことは失うだけじゃないってこと。

失って得ることも沢山あるんだよってことかな。

病気のせいでみんなと遊べなかったことはとても寂しかった。

だけど、運動できる喜びを誰よりも感じることができた。

家族の有り難さを誰よりも理解できた。

一度会計士の試験に落ちたことで絶望を経験した。

だけど、友達や先生の優しさも知った。

自分を応援してくれる人の有り難みを知った。

今の俺があるのは、大切な時間や希望を失った経験があるからだと思う。」


自分がなりたい自分になるためには何をしたらいいのか、理解することは難しい。

でも、挑戦してみないとわからない。

失敗してみないと見えない景色だってある。

自分の選択がまた次の道へと繋がっていく。

どの道を進めば良いか分からない時もあるだろう。

ただ、全ては自分次第。

そう、自分次第で良いのだ。

人生、何が起こるか分からない。

明日、突然信じられない出来事が起こるかもしれない。

立ち上がれないほど、つらいことが襲ってくるかもしれない。

だからこそ、私たちは1日1日を大切に生きるべきなのではないか。


丁寧に生きる。

自分に素直に生きる。

人に貢献しようと努める。

その上で、柔軟に生きること。

だけど、適当に生きること。

いつも笑える余裕を持つこと。

他の誰でもない、たった一人の自分の、たった一度の人生なのだから。


彼は現在、日本から飛行機で10時間以上離れた土地アメリカで会計士として働いている。

巨大な外資系会計事務所に勤める彼だが、英語が大の苦手だという。

そんな彼がなぜ海外勤務の道を選んだのか聞いてみた。

「最初は日本で激務をこなしてきた。

だけど、その中でも自分ができないことに挑戦し続けたいという想いは常にあった。

厳しい環境に身を置くことで、できないことも出来るようになりたいなって。

俺さ、本当に英語ができなくて。大学の英語のクラスでは成績が一番悪かったくらい。

でも、今からでもチャレンジしてみないと分からないから。

人生一回きりだしね。まぁ、何とか頑張ってるよ。」


ははは、と楽しそうに彼は笑った。

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