第3回難民・移民フェスレポート

 


2023年5月20日(土)


今回で3回目を数える、難民移民フェスが東京都練馬区平成つつじ公園で開催されました。

入管難民法改正に向け国会で審議が進む中、本イベントは日本で暮らす難民移民の方々の文化に触れ、チャリティ形式で支援を行うことが目的とされています。


来場者はさまざまな国の食事や服飾品、音楽に触れ合いながら
日本に暮らす難民移民の方々の背景を知ることになります。


僕らが構成するこの日本社会は、彼ら彼女らにとって生きやすい場所と言えるのか。

いかにして社会をつくる”当事者”として、他者と共によりよく生きていくべきか。

そんな答えのない問いを抱えながら、編集者二人で現地へと足を運び、レポートしました。



N:難民移民フェスは初めての参加だったけれど、人が多かったね、本当に。

T:思ったよりいましたね。若い人も多かったです。

N:維新の梅村みずほ議員の発言やウィシュマさんの問題はじめ、ニュースで報道され始めてる。 その影響だとは思うけど。

T:法改正についても、ニュースで取りあげられていることで、認知度は高まったかもしれないですね。

(各入場者数:第一回 800人、第二回 1200人、第三回 3600人)


N:各地でデモも行われているし。

自分自身、移民難民についてしっかり向き合ったのは3〜4年前からかな...ヨーロッパの移民問題、アメリカのトランプ大統領によるメキシコへの移民、難民への統制の動きなどなど。本当に色々あったもんね。

もともとは自分たち日本人としては、そこまで馴染みのない問題だと思ってたけど。とはいえ日本の入管の問題はこの日本で確かに起こっていることで、もっと早く問題意識を持てばよかったと反省している。あと映画を観ることが好きだから、難民をテーマに扱った作品が増えてきたことでより興味が深まった。


T:それは大いにあります。
僕は「マイスモールランド」を去年の初めごろに鑑賞して、そこから難民移民に関する情報をキャッチしていくようになりました。


N:あれは傑作中の傑作だったよね。
もちろん難⺠移⺠というテーマに沿っているだけでなく、⻘春映画としても。
主役の視点から極私的なストーリーを展開させて、難⺠問題を巧みに捉えている。
例えば劇中「どこの国なの?」と主人公が同級生に問われるシーン。
自身がクルド人であることを隠し、ドイツ人であると言う。
クルド人が独立した国家を持たないこと、それに伴う偏見を持たれてしまうことを回避しようとした発言だけれど、端的に主人公の内面、境遇を表している印象的な場面だったね。


T:当事者ではない僕自身、「難⺠について何も知らないんだ、勉強しないと」と強く思わせる作品でした。

N:それでいうと監督の川和田恵真さんによって、小説化された書籍が置いてあるブースもあったね。

T:ありました。ポルベニールブックストアという鎌倉市大船にある書店。
その他書籍含め一冊も残らず売り切れたそうです。


N:他のブースも絡めて言うと、今回は「胃袋で文化を体験する」っていうテーマも大きく打ち出されていたね。フリーでお茶が配られていたり、ご飯の出店も多種多様だった。 何か食べた?

T:僕はロレックスっていう、小⻨粉を水でこねて焼いたチャパティに卵、細かく刻んだトマトやにんじんを巻いたものを食べました。インドからアフリカのウガンダに伝わった料理のようで、はじめて食べる味わいでとても美味しかったです。

N:ちなみに、僕らが到着した12時過ぎの時点で食事のほとんどが完売していたね。
それほどの盛況ぶりだった。


支援者にとってもどうしようもできない現実

N:到着して間もなくスタートしたトークショー。
最初のステージでは、社会福祉士の大澤優真さんと、ライターの安田浩一さんの登壇。

お話で印象的だったのは、難⺠の方々は「考えることさえできない」というフレーズ。
移⺠難⺠の方は、選挙権がない。仕事をする権利もない。
僕らは社会における物事に対してイエスとかノーとか、もしくはわからないって何かしら考えることができるけど、難⺠の方たちはそれさえ奪われている状況だと。


T:保険福祉へのアクセスが難しいことも挙げられていましたね。風邪を引いただけで、1 万円から3万円の負担を強いられる。

N:そんなの日本の平均収入でも無理。

T:本当その通りです。


N:大澤さんの話だと、支援はその場だけのものでしかなく、被支援者の立場を直ちに改善できるようなものではないために、結局支援者側も最終的なケアまでは出来ないと。

T:まず公的保証がなされていないですからね。それを支援に立つ人が言わざるを得ない現実。


N:とにかく外国人、移⺠難⺠とか◯◯問題、そういうことではなくて”日本社会と私たちの問題である”ということは認識しなければいけない。
安田浩一さんのお話にもその一例として、北関東の農家では、従事者のほとんどが外国人労働者であると紹介していた。 社会を構成するためには、なくてはならない存在なのにも関わらず、他人事のようにしてしまうのは、本当に不明を恥じるべき。


T:アパレル産業の工場の話もありましたよね。Made in Japanはタグの表記だけであって、日本の工場で従事される方々は技能研修生をはじめとした外国人労働者たちがほとんど。

N:それで言うとTはアパレル業界にいた身として、どう感じた?


T:不意を突かれた気持ちでした。
僕は販売の業務に従事していましたが、生産者側の視点まで想像できていなかったことがひとつ。
あとは消費者のニーズとして「いい服をより安く買う」という潮流が明らかにあって、安くする分利益の構造はどうなっているのか、誰かが搾取されているのではないかと疑問がより深まりました。今回の話にとどまらず、アパレル産業が大きく抱えている問題にまでも射程が及んでいる気がして、とても考えさせられました。


N:結局、直接的な難⺠の話ではなくても、コストを抑えた製作過程を経た製品が
日本でありえないぐらい安く売られる構造自体を改めて考えるべきだよね。
難⺠問題の中で結論に近いものを言うとすれば、”当事者性を持つべき”でしかないと思っていて。
実際に日本人が海外で出稼ぎをする時代がいずれ訪れるはず。 というか既に始まっているけど。
また、日本の安い労働力を目当てに海外の企業が日本で工場を建設するケースもある。もちろん海外企業としては日本での別のシナジーも期待してるとは思うけど、日本は実質賃金が30年以上も上がってないので、相対的にみて労働力が買い叩かれてるのは事実ではあって。


もちろん統括するマネジャーのクラスは海外の方になるだろうし。
いわゆる単純労働の人材として日本人が使われつつある。 これは経済の中における一つの事例だけど、”自分たちもその流れの中に組み込まれる可能性がある”という当事者性を持つべきだよ。


当事者性

入管法改正に関連して、いとうせいこうさんのステートメントを思い出した。

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私たち日本に住む者も残らず彼らと同じ境遇になる可能性を持っているということです。
原因は大変な異常気象かもしれない。 あるいは広範囲に及ぶ巨大地震がやまないとか、原子力事故による放射能被害に襲われて体ひとつでなるべく遠くへ逃げ延びねばならないとか、 他国との摩擦がいきなり暴力に発展する、あるいは代々の生活の中でごく穏便に保っていた習慣が突如間違った宗教として国中から弾圧され、追い回されるといった事態は、決して夢まぼろしではありません。 その時、私たちは国外に逃れる以外なくなるかもしれない。

ーーー
”自分たちも当事者になりうる”ことの可能性は常に考えておくべき。 その気持ちをシェアすることで、海外にルーツを持つ方とわかりあえることがきっとあるよ。


T:(難民移民に対して)一緒に社会を並走して作っていく仲間だって意識を持たないと。 僕らは今日本に住んでいていずれ災害だって起こりうるし、生活に困窮を強いられる状況にはならないと誰が断言できるのか。 難⺠の話だけにはとどまらないけれど、他人事の話になった途端、無意識に上下構造で考えてしまっていると思うんです。管理する側、助けてあげる側みたいに。そもそも目線の高さが合ってないですよね。


N:その通りだね。
ただ俺自身も、同じではないけれど似たような気持ちは過去にあって。
何かを侮蔑するとかじゃないけど、裕福ではない家庭環境だったから自分にとっての正義は経済的に上に行くことでしか達成できないんだ!って思い込んでいた。正義とか言ってる時点で気持ちが悪いんだけども...。


「上昇志向」と言ってしまえば聞こえはいいけれど、同時に誰かの存在に対して冷笑的になってしまう危うさがあることに、早く気づくことができた。


国際基準とは乖離する、日本の難民政策の課題

N:あと、二つ目のトークショーでのミョーチョーチョーさん、金井真紀さんの対談も印象的だった。

T:スタートが遅れるハプニングもありましたね(笑)
ミョーチョーチョーさんが衣装で着ようと意気込んでいたTシャツを忘れて事務所に取りに行っていたとのことで。


N:結局そのTシャツ、(おそらく)アウターの下に着ていて見えなかったし(笑)
その分タイムスケジュールの関係でお話を早く切り上げてしまったのが残念だったね。
彼がイスラム系少数⺠族のロヒンギャとして、ミャンマーの中でどんな迫害を受け、祖国を離れるに至ったか。切り離すことができない宗教を理由に、国から迫害を受けることの恐ろしさ。
抵抗した後、逃げることしか残されていない、その選択をした人たちは絶対に保護されるべきだと強く思うよ。


T:「日本は(難⺠、移⺠の)命をもてあそんでいる」と、語気を強めて仰っていました。
また、かつての法務省入国参事官の池上努氏が自身の本の中で、「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」と書いていたことも取り上げられていました。


N:難⺠認定のあり方に関しても、制度的課題が山積みに思えるね。

国連によって定められた難⺠条約に日本は批准しているにもかかわらず、保護とはまるで逆行した動きであることは間違いない。
一つめのトークショーにて大澤優真さんが
「頼むからぼくらの友人、知人を殺さないでくれ」「帰ることで彼らは死んでしまうから」
と切に話されていた。その人が死んでしまうかもしれないという状況で、難癖つけてそこに存在することを否定する意味が俺には全くわからない。


強く言いたい。「寛容であろう」って。
何よりも大切にするべき、人の命を蔑ろにしては絶対にいけない。


T:同感です。

現に法改正案を通そうとしている人たちが頻繁に用いる「不法難⺠」という言葉、
「自国に危害を及ぼす恐れがある」といった、事実に基づかない断定があって。
それらは海外からの移⺠を受け入れた先に考えるべき問題なはず。
今、移⺠難⺠の方々が生活に困っている状況の改善に動き、一緒に社会をつくっていこうと、並走していこうという社会を整えてから、悪事を働く動きが見えたなら対処すればいいだけの話であって。
それは外国籍の方だけにとどまらず日本人にだって言える問題です。 今入管法改正を通そうとしている背景に、根強い差別的な考えがあると思います。


N:その通り。(法改正の動きは)本当に性格悪いよ。 すべての人が生きやすい社会になるように受け入れて、そこから問題点が出てきたらつぶさに細かなルール作りをすることが大切なのに。
「難⺠に対する解釈として”国際ルール”と”日本の現行の政策”が、どれだけかけ離れているのか」
「そして他者へ寛容になること」この二つを理解し重視するべきだと思う。


T:対談の最後の方で「無関心であることがいけない」という話もありましたけれど、移⺠や難⺠の存在に対してまずは”目を向けること”から始めないといけない。 それこそが寛容さだと思います。


これからのこと

N:(僕らが滞在した時間の)最後の方、ガーナの方たちによるアフリカの太鼓の演奏もあったね。

伝統的な楽器であるジャンベという太鼓をリズムに、実際にお祝いの席で歌われる活気あふれる音楽だった。 その前説で彼らが、「私たちは悪い人じゃないです」と仰っていたけど、演奏との対比もあって(ステージ後方から鑑賞していたこともあり)とても物悲しく聞こえて。
これを自分のなかでどう受け止めていいのだろうっていうような気持ちにもなったし。
あの音楽を、あのジャンベミュージックを心の底から楽しく聴ける日が来たらいいな。


T:すべてのトークショーで繰り返されていた言葉、
「今日は楽しい日だけれど、明日からはまたわからない」。
このことを忘れてはいけないと思います。
今日イベントに参加して、移⺠難⺠の方々に出会うことができたと同時に、圧倒的に多くのまだ出会わぬ方々が社会へのアクセスを奪われ、今も生きているという現実と真摯に向き合い続けるべきだと思います。


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