映画「すばらしき世界」を観て、大学生が考える世界の生きづらさ

●プロローグ

(この記事には一部ネタバレが含まれます)

今年2月11日に公開された西川美和監督の映画『すばらしき世界』。


本作は、元殺人犯として刑期を満了した主人公三上正男が、社会からつまはじきにされながらもひたむきに生きる姿を描いている。


映画を通して私たちは、人間の愛おしさや痛々しさに想いを寄せるとともに、人間が正しく生きるとはどういうことか、社会のルールとは何なのか、私たちを取り囲む今は“すばらしき世界”であるのか、幾多の根源的な問いを突き付けられる。


殺人や罪人などという特殊なケースに限らずとも、日常の小さなきっかけで意図せず社会から排除されてしまうことは、誰の身にも起こりうる。


本記事は、都内の大学に通う学生四人が本作品を鑑賞し、それぞれの生きる世界の“生きづらさ”について語り合った対談記事である。



〇登場人物


Tさん(4年生)

いわゆる”よくいる”大学生。

現役で大学に入学し、フットサルサークル所属、カフェでアルバイトをしていた。


Kさん(3年生)

一年間の浪人の末、関西から上京し大学入学。

友達作りが上手で、コミュニティに多く所属している。


Nさん(3年生)

大学付属の高校から、内部進学。

アカペラサークルに入るも現在休サー(ほぼ幽霊部員)中。

在学中にビジネスを立ち上げる。

Eさん(3年生)

4人のうち唯一の女性。

高校三年間はスイスの学校へ通い、大学入学後はサークルなどにはほとんど属せず、趣味の映画製作に没頭。


●4人の共通項である「大学」っていったいどんな場所だろう。



〇友達は、似たような人が多いよね。


大学で接する人は高校までと違って、住んでいた地域や時には年齢までも異なる人たちなので、趣味や考え方が近い人が必然的に集まりやすく、限られたコミュニティの中にいると思う。

それは、学部学科やサークルといった個人が選択した先でしか出会えない人が多いからだといえる。


〇「それらの人とはどう仲を深めるんだろう。」『大きな手段の一つが「お酒」だといえるよね。』


T)大学で出会った人たちはすぐ、「飲みに行こう。」って文言で人を誘うから、仲良くなるのは基本お酒の場でだよね。大学ではお酒という"楽しむための手段"が一つ大きくある。


K) ただこれ個人的な意見だけどさ、なんかお酒って神格化されすぎてないかなと思ってて。

つまり、お酒でできるコミュニケーションを否定できない雰囲気がある。

お酒は好き嫌いだけでなく、得意不得意があるのに、飲み会が好きではないことや控えることをネガティブに捉えられてしまう風潮が、少なからずあると思う。


〇では、唯一女性のEさんにとって大学でのコミュニケーションとは?


T) それは俺も思う。お酒を除いたとして、女の子同士では最初どう関係性をつくっていくの?


E) 関係が希薄な人ほど、「身体性」の話だけで盛り上がることが多いとおもう。(女性全員が該当するわけではないという前置きの下、)

まず関係を構築するための最も大きな手段は対話でのコミュニケーション。

内容は主に、自分のステータスとかよりも、「自分の外見」に関することを話すことが多いかな。

例えば、髪を切ってるところはどこだとか、なんの化粧品を使ってるとかの話。

それは、高校まではメイクが禁止されている学校は多くあったけど、大学で自由になって、外見に関してより敏感になったからだと思う。


でも、話したくて話しているのかと聞かれればそうではなくて、多分何かそういうものを求められてる=共有しないといけない気がしてしまう・・。

大学は授業によってあう人そうでない人がいるし、人との関係がより希薄化するからこそ、中身ではなく見たままの話をするんじゃないかな。


〇Kさんは、地方から上京してきたけど、友達作りはどのようにしていたの?


K) 自分が兵庫県の田舎の方の出身なんだけど、結果的に上京して誰もまわりにいないわけ。頼るあてもないし、関係をつくるにしても手探りになってしまう。

だからこそ相手の本質をつかむのが難しいというか、表面上のコミュニケーションにしか頼れなかったのかも。でも周りを見ていると、大学での交流って結局そんなもんが多いなって思うんだよね。

まとめると、表面的な話、つまり浅い会話っていうのはまさにその時だけで終わってしまうジャストナウの会話だといえるよね。


劇中では、長澤まさみ演じるTV局の人は三上に対して

「過去は過去じゃなくてその人がどう行動するか、今何をしているかが重要なんだ」みたいなこと言ってた気がする。

それってまさに、今どうなるかが大事。今どうあるかにしか着眼点を置いてないじゃん。


〇その中でどう仲良くしていけばいいんだろう。


T)だとしたら深い会話ってなんだろうね。

言い換えると、何を話せることがその人と親しいことになるのか。

自分にとっては、気性が荒くとっつきにくい三上正雄になぜ思いを寄せることができたかは、物語を通じて彼の生い立ちを知ったからだと思う。

現に自分が仲いいと思う人は、自分の生い立ちとか、その生い立ちゆえにこんな考えや性格になったんだっていうのを、共有できる人かも。


N)確かに生い立ちを知るっていうところもあるし、さらに映画の話に合わせて言うと、六角精児さんいたじゃん。スーパーの人。

あの人、三上がテレビ出演する話を持ち掛けたときに、1回止めてたよね。

相手の生い立ちを知っているからこそ、先の将来を心配できる。ここは物語において大きなポイントだったと思うよ。

今の深い関係とは何かと考えたときに、寄り添いたいと思えるという一つの基準が確かにあったね。


〇生い立ちによる今の自分らしさは、アイデンティティと言い換えることができる。


E) アイデンティティは、映画の中でも大きなポイントだったよね。

刑務所から出てきたのもそのひとつだけど。目をひくのが「方言」だった。福岡弁からあの映画終盤にかけて標準語でしかも敬語になったりして、アイデンティティをできるだけ削ぎ落として単純化していくプロセスが、割と映画の中で描かれてたのかなって思う。

大学でも例えば、地方から出てきて段々標準語になっていくとか、サークルに入ってその人の雰囲気が変わるとかがあるよね。

大学に入ってから割といろんな人とコミュニケーションを取っていく中で、自分とはわかりやすくどういう人間かを定義して、その場所に馴染んでそれぞれの役割を見つけていくみたいなのがあるかなって思ってる。


〇でもそれは同時に、足踏みを揃えてなきゃいけないという圧力もはらんでいると思うんだ。


同様に、コミュニティから逃げることも簡単に許されないみたいな。


N) 大学は社会みたいに開かれた世界ではないから、必然的に自分たちは小さなコミュニティに属することになるけど、そこから逃げることが許されないような環境にいる気がする。

人と関係を断とうとすれば、仲いいと思ってたのにと周りから言われたり。

お酒を飲むときも、みんなとペースを合わせるべきで、飲まないとノリが悪いといわれたり。

そしてその排他的な雰囲気から逃れることも自分は恐れているみたいな。

極端な例かもしれないけれど実際にある話だよね。


E) 私もどちらかといえば不器用なタイプの人間で、何かサークルとかも最初入ったけど、馴染めなくてすぐ辞めちゃったし。

3年ぐらいまでずっとゼミとかも入ってなくて、ただ授業に行くだけみたいな。大学に属してるみたいな感覚がない。

要は器用な人は連続的に自分の居場所をつくりだしていくのに対して、不器用な人は、周りに馴染めない、社会的死を選択するしかない、という現実は確かにある。


K) ただ自分は、サークルに対して悪い気はしてない。それこそ誰かと出逢うきっかけを作ってくれた側面もあるわけだし。飲み会とかでも、どこかで楽しんでる自分がいるんじゃないかな。

結局、どんな人でも大学のサークルやコミュニティに属するということは、自分の居場所をつくるということだから。


T) サークルやコミュニティに入ることは、自分はどこか所属するところがあるんだというか、存在を認めてもらうとまでは言わないけど、帰属意識を認識できる喜びとかは結局あるよね。


〇でもすべてにかかわれるほど人間は器用じゃないから。


「逃げる」って言葉が、映画後半になるにつれキーワードになっていたね。

三上の門出を祝う会でも、『逃げることは敗北じゃない』と、三上に対して諭すシーンがあったけど、本当にその通りだと思った。


K) 普通にうまく生きることってさ、いわゆる自分を押し殺して、なるべく「逃げない」ことで体裁を取り繕うことだよね。

でも映画でそれこそ三上は、社会に適応しようともがく最中でも、同じ施設の職員がいじめられてるところに、助けに行こうか行かないか迷ったわけだし、つまり「自分を押し殺して生きることを肯定的にも否定的にもとらえてない。どっちでもいいんだ!」と思えるようなメッセージ性があった。

それに終盤三上は、介護施設での会話の中で弱者をからかう側にまわっていたけれど、そのあと本人を目の前にした時に、ひどく後悔をして、優しく接していたし、なんか別にどっちかではない人間の持っている複雑さみたいな。


N) 複雑性を持つ個人が、バランスを取りながら社会で生きていくのは難しいんだね。


〇結局、器用に社会を生きるって何だろう。


E) 三上がうまく社会に馴染めなかったのは、彼がまるで子どものようだったからだと思う。

三上の愚直なところ、喜ぶときは思いっきり喜ぶみたいなところは、本当に感情に素直だし、そういうところが多分大学生にもあると思う。一喜一憂しやすく、周りの流れに逆らえないところも。

とすると、私たちが今いる大学は、子どもから大人になるためのモラトリアムだと改めて考えさせられるね。


N)それぞれの生き方について、善悪だとか、簡単に二極化するのではなくて、大きな社会の流れの中に1人1人がたしかに存在していて、それぞれが完全に悪な人も完全に善な人もいない、そういう複雑さを人間が持っている事実をまずは受け入れないと。

そして大学での生き方に終始するけど、サークルや友人関係といったコミュニティを利用するつもりで、その先の社会で生きてくための処世術を学ぶ姿勢は価値があるはずだと思うな。

-Culture

Copyright© THEYSAY , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.