『テレビの中に入りたい』勝手に応援し隊

 


日本では2025年公開のアメリカ映画テレビの中に入りたい(原題:I Saw the TV Glow)』
第74回ベルリン国際映画祭パノラマ部門正式出品作になるなど、全米公開時には大きな話題となった作品である。そんな本作が2025年9月末、日本でも劇場公開された。


「90年代のアメリカ郊外を舞台に自分のアイデンティティにもがく若者たちの切なくも幻想的な"自分探し"メランコリックスリラー」
ーA24×Happinet特設サイトの公式コピーだが、本作をゼロ知識で鑑賞したThey Say編集長が何やら首を傾げている……。
「若者たちの……?自分探し……?スリラー……!?」


They Say編集部で『テレビの中に入りたい』勝手に応援し隊を結成。大いに語り合った。(以下、盛大にネタバレを含みます)
-編集長T:1ヶ月前に観賞(男性)
-編集E:1時間前に観賞(女性)
-編集Y:3日前に観賞(女性)


T:タイトルだけ『アフター6ジャンクション2』で知って、ゼロ知識で観に行ったの。クィア映画っていうことも、監督がめっちゃ若いってことも、何ならA24だってことも知らなかった。
俺は自分の気持ちの整理が全然追いつかないくらいに度肝抜かれたんだよね。隣で観ていた女性 2人は映画が終わった後、「つまんなかったねー」って言いながらエスカレーターを降りて行ってね。そういえばポップコーンの進みが超早かった(笑)。何で彼女たちがつまらないと思ったのかも、自分が何に感動を受けたのかも正直よくわからない。でも「知らない誰かじゃなく、俺自身でもある、誰かの人生を描いている映画なんじゃないの」って思ったんですよ。だからこの映画について年齢も性別も違うこのメンバーで話してみたいと思いました。


ここにいたら「死ぬ」という世界

E:舞台である96年はテレビをずっと観ていた時代で、私はまさに「世代」だなと思った。テレビがまだブラウン管だった時代。箱みたいだったんだよね、テレビって。私自身、その年代の時に結構しんどいことが続いていて、自分が現実世界からいなくなるのを「テレビの中から出てきた」手が阻止しているみたいに感じていた。だからこの映画を観て、みんなと環境が少し違うな、私は「普通」の中に居られないなって悩んでいたその時をすごく思い出したの。

T:うん。

E:大人になった今も、まぁ少数派の生活をしてるんだろうなと思ってるんだけど。それを違和感として捉えてしまっている部分が自分にもあったから響いたのかも。


T:監督がクィアであると知らないで観たからか、普遍的なマイノリティ性とか普通であるかとかそうじゃないとかが色々なものに表現されてるなって感じた。俺が最初に刺さった理由はそれです。フットボール場のスタンドで「どっちが好きなの」みたいな話をするシーンがあるよね。何故だかわからないけど、そのシーンを見ても、まだクィアが中心になる映画とは理解できなかった。「普通じゃないこと」とか「普通ってなんだろう」っていうことについて、物語の中と現実とを行き来していくその心象風景がすごくよく表現されているなって思ったの。キーカラーでもある紫が「曖昧さ」を表す色としてうまく使われていていたよね。


Y:私は「ティーンエイジャーの自分探し」というコピーくらいしか知らずに観たので、学校つまんなくてテレビの何かにハマってという感じかなと思っていました。

T:まぁ、そういう映画と言えばそういう映画だもんね。

Y:はい。


T:寧ろ性に関する表現が少なかった気もするな。一番普遍的な「ここにいたら死ぬ」っていうのがやっぱりマックスだと思うんだよね。

Y:そうですね。

T:「ずっとこの世界にいたら死んでしまう」というのは意外と誰にでもある、とにかく誰もが共感できる映画。そう片付けちゃダメかもしれないけれど。


息苦しさ

T:あと「喘息」がすごく大事なセンテンスだと思った。自分もそうなんだけど、喘息ってめちゃくちゃきついのよ。ラストの呼吸だけがどんどん荒くなっていく音の演出、すごくなかった?そしてゲーセンのバックヤードのシーンに繋がって、周りが止まっても自分だけ喘息が続く。少し幻想が見えている様なシーンがあるけど、それも喘息のきつい薬を飲んでしまったが故のね。喘息の息使い、むちゃくちゃ印象に残ったよね。

E:うん、こっちが苦しくなるぐらい。

Y:精神的な息苦しさとマジの息苦しさがあるのか。


T:あれほど具体的な喘息の表現はあんまりないと思う。息苦しさマックスでの、「ここにいたら死んでしまう。」


彼の「大人の一歩」

T:どのシーンが印象的でした?

E:何回かテレビが燃やされているシーンがあるけど、テレビって燃やしてしまうと中身何にもないなと。あんなに入りたいと思っていたのに。そして男の子が「普通の幸せを手に入れた」って話すシーンで、新しい薄型のテレビが届く。

T:入れない薄さのテレビだ。

E:あとサウンドトラックの歌詞にある「綺麗に整えた芝生に穴を掘る」。この子って親に「ちゃんと」育てられているじゃない?こんなに綺麗に整えられた芝生に、穴を掘る勇気あるのかなと。例えば友達の家をピンポンしてる時も見ていたり、まるでこの子がテレビの中にいて親はずっとそのテレビを見てるような。そんな印象を受けた。


T:テレビのマテリアルと歌詞、ってところから観るのも面白そう。音楽にこだわっているから、1つ1つの歌の意味はきっとあるのだろうし。ただ結局ね、とにかくラスト15分で全部表現していると思うんだ。それまでは結構よくわからないシーンばかりだけど、最後に「ああそういう映画だったんだ」ってとにかくやられた。もちろん彼が何かに悩んでいることさえもわからない人もいたかもしれないけれど、ラスト15分で一気に全部が、むしろ親切に回収された気がしたんだよね。


E:サブスクで簡単に過去の番組を観れるようになって、大好きだったドラマを観てみたら記憶と全然違う、というシーンも印象的だった。これ結構あるあるだと思うんだけど、それは成長して自分の目線が変わってしまったのか……。

T:そこが今回のテーマと重なり合うところってあるのかな?マイノリティや普通にはなれないっていう点と、マテリアルのパッケージや自分の見方が変わるという点で何かリンクするところあるのかなあ。

E、Y:うーーん……。


T:フィールドでも色々表現されているよね。2人が対峙するシーンで彼はセンターラインを越えない。センターラインにいる彼女を倒して彼女がいる側、墓のようなモチーフがある方とは逆方向に走る。多分センターラインで世界が分けられていて「あっちに行けなかった自分」的なものが表現されているんだけど、それがラストでバーンと重なる。ちなみにその数年前、彼らはフィールドの外のスタンドで話していた……。だからあっち側とこっち側、2つの世界を行き来してる話で。あっちの世界に誘ってくれた人がいたけど行けなくて、センターラインを越えずに自分の陣地に戻ったらそこが地獄でした、という話。

Y:でもあっちの、もう1つの世界も地獄なんですよね。

T:そう多分、結局そうなんだよね。どっちも地獄。世の中はずっと地獄なんだってことだよね。両方の世界を行き来できるツールや、「依存先」みたいなのはどちらにもちゃんと持っておくべき。マテリアルが超激変したそのパラダイムシフトの中で、そこがプツッと切れたように思う。

Y:確かに、一緒にテレビを観てるときが一番楽しかったですもんね。

T:ここのパラダイムシフトって、義務教育が終わって、映画館でバイトして、ゲーセンで働いて、という彼の「大人の一歩」とも言えるのかも。よくできてる映画だな。マテリアルのパラダイムシフトと「大人の一歩」が、そこにあった自分自身のマイノリティや家族、喪失って点でリンクしている。彼は「大人の一歩」で、両方の世界を行き来するやり方を見失ってしまう。で、こっちの地獄だけを選んでしまった。より悲しいな。


I Saw The TV Glow|Official Preview|Official Clip HD|A24

テレビを中に、入れちゃった

T:お腹を開けたらテレビが中に入っているってシーンで泣いた。すごくいい曲が流れたの。屈指の名シーンだと思う。

Y:そうかテレビが出てきたのか。テレビの中に入るどころじゃない。

T:美しいんだよね。このシーンで終わってたらいいんだけど、ここで終わらずにあのラストにいくから異常に悲しい。


Y:お腹を開けるシーンで泣いたのはなんでですかね。

T:曲がいいから(笑)。あ、そこに入ってるのねーって、ああいい曲だなあって。


理解しようとすると難しい

T:「この作品を表すのに"リンチ的"という言葉を使いたい(VOGUE)」詳しくないけどデヴィッド・リンチ的な?そんな映画なのかな。とにかくワンシーンワンシーンに一球入魂って感じで、気合いが入ってる。

Y:最初は意図とか無い、綺麗な映像の切り貼り映画なのかとか思いましたけど全然違った。


E:逆にこの映画が1ミリも響かない人ってどんな人なんだろう。

T:圧倒的強者か……、いやそんな人はいないんだよな。

E:疑うこともなく多数派にずっといる人には響かないとか、そういうことでもないのかな。

T:あとは映画や本全般の読み方にも繋がるけど、理解しようとすると難しい。

Y:そうすると負けますもんね。

T:死ぬほど天才は別だけど、わからないところは飛ばしながらみたり読んだりする。世の中のことを全て理解しようと思っちゃったら、もうこれは見ることができないと思う。


"地獄映画"……?

E:どっちを選んでも地獄という話があったけれど、最後に「まだ時間はあるよ(there is still time)」とあるよね。これってまだ時間があったとて、地獄が続いていくのかな。

T:うーん……、原題の「I saw the TV Glow」は「テレビの中に光をみた」って意味だよね。今のテレビに光あります?テレビの中も地獄でしょ、とは思うよね。これはYouTubeだろうかなんだろうか、まともなものなんて無いのかも。

E:だけどこの地獄の中に救いがあるとしたら?だって、ただこの世は地獄なんですよって言うだけの映画なんて誰も救われない気がして。


T:この映画の中の救いや光でいうと、親に嘘ついて門限から逃れて好きなものを見てっていうあそこなのかな。あとは選択とか?うーん、選択を間違えたとしても光がないといけないと思うんだけど、後半が地獄しかなかったからな……。

Y:久々に会った彼女はどうでした?「ここなら安全よ」と赤いライブハウスに連れて行ってくれた時彼女はどんな様子だったか。そっちの地獄になら光はある、とかではないですかね。

T:あの再会シーン、圧巻だったよね。長台詞は一言も何言ってるかわからなかったけど(笑)。演劇のような抽象的な話をし始めて、もちろん1つ1つポエティックに意味はあると思うんだけど、1回目だとどうしてもちゃんと意味を追ってしまおうとしちゃう。で、結局わからないという……。彼女は結局どこに行ったかわからないし、幸せだったとは思えないよね。

Y:はい、脅されているんだって言ってましたね。

T:色んな世の中の考えや、目線、社会的なシステムに脅されているんだってことだろうね。てことは、行くも帰るも地獄なのか。

Y:ああだめだ、地獄映画になっちゃうよ!

T:唯一あるとすると曲の良さかな……。何が映画の中で光だったか、これ難しいね。


Y:人を思い浮かべるとダメですね。赤いライブハウスで歌っていた人もすごい素敵で最高だったけど、彼女が幸せかはわからない。

T:めっちゃ絶叫してた。くそかっこよかったけどね。入れ物的なハードの面、マテリアルの話でいうとそれは変わっていく。時間が経てば中身も変わるかもしれない。人もいなくなるし、死ぬ。肉体は死ぬけど精神はまだいて、まさにコンテンツはあるんだよね


E:あとは狭い閉鎖的な空間のシーンが多いっていうのとか。プラネタリウム的な空間や、カラフルなテントとか。狭い閉鎖的な空間でみたら少数派だけど、広いところでみたらそれって本当に少数?とか思ったな。

T:フィールドでの対峙も100ヤードの四角い枠に囲まれていたわけで、でもお互いが独白したのは枠の外だった。俯瞰視していたその枠の中に入った時に自分がどっちに転がるか、どちらを選択するのかっていうのは……、いや、難しいです。

E:世界は広い……。

T:主人公は結局田舎から出てないんだよね。

Y:出ればいいのに……。

T:その箱やハードが変わろうが、「中は自分で変えられるんだぜ」っていう意味もあるかも。

E、Y:うんうん。

T:客観視してみたら、今まで見たものと全然違ったって言うんだったら、自分がその外側に出れば中身変わるじゃん!ていう。これ今めちゃくちゃいいこと言ったかも!!!

E:今日イチ、出た?

Y:出たかも。アイスクリームマンもあんなに変わっちゃうんですもんね。変われるんだ。


T:「フィールドの外に行こうぜ」という。もう選択する立場みたいの必要ないとかも言えるのかな。これ男の子がいる側が自陣で女の子がいる側が敵陣なのよ。でやっぱり彼はあっちの敵陣側に行けないの。まあよくできてるんですよね〜。アメフト好きとして。おーマジかと思って。

Y:アメフト映画なんだ(笑)。

T:もうセンターラインどうするか。ハーフラインからの話なんですよ。




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