レポート「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」


盆地特有のうなだれるような暑さの中、ブライアン・イーノの大規模個展「BRIAN ENO AMBIENT KYOTOを浴びにいくため、京都駅にほど近い「京都中央信用金庫 旧厚生センター」に向かった。

それにしても暑い。私が観に行ったのは6月の中旬。

昨年8月に別件の取材で京都に向かい1年分の汗をかいて死にそうになった教訓を活かし、なるべく早い時期に向かったのだが。それでも暑かった・・。日本及び世界が温暖化などの異常気象を招いてしまっている昨今、京都の暑さは尋常ではないものだった。ただ幸いにも京都中央信用金庫は京都駅から徒歩5分という好立地なので紫外線の被害はなくて済んだ。


軽く汗を拭いながら到着。

まずは今回の展示のビジュアルアートが全面に施された外観を目にする。期待は膨らむ一方だ。

<特設サイトより抜粋>


そもそもブライアン・イーノって誰なの?という説明にはかなり文章の量が必要なのでざっくりと説明すると、この個展のタイトルである「AMBIENT(アンビエント)」というジャンルを開拓したミュージシャンだ。アンビエントミュージックといった全く新しいジャンルのアルバム「Music for Airports」を1978年に発表している。(イーノ本人は1975年発売の「Discreet Music」こそ最初のアンビエントアルバムだと後に語っている)


これを聴けばアンビエントというものがどういったジャンルなのかが何となくわかると思う。


ロキシー・ミュージックというバンドメンバーでもあったイーノはプロデューサーとしても恐ろしい才能を発揮している。U2、トーキング・ヘッズ、コールドプレイなどの大物ミュージシャンを手掛け、実績をあげれば枚挙にいとまがない。


といっても私がイーノを知ったきっかけは、イタリアの映画監督ナンニ・モレッティの「息子の部屋」だった。劇中で使用されていたある曲が妙に頭に残っていた。繊細かつシンプルなコードで不安定な要素も含まれているなか、繰り返される旋律に心が惹かれていった。「Music for Airports」より1年前に発売された「Before and After Sciense」というアルバムの中の名曲「By this river」という曲だ


この曲で猛烈にハマってしまい、私はイーノの環境音楽の一部となっていく。


話を戻す。


入場しスタッフの方から、3階から順番で観てくださいとの案内があり、趣のある会場の階段を登る。兜町にあるような銀行の階段だ。まずは最初の作品「THE SHIP」。

このTHE SHIPがいきなりやばい。ここで1時間近く滞在してしまうことになるので、後ろの時間には余裕を持っておいたほうがいいと助言させてください。


薄暗いというかほぼ見えない部屋に流れるアンビエント。正直、最初はよくあるインスタレーションとしか思えなかったが、暗闇でウロウロする観覧者がそぞろに座り始めると、徐々に変化していく音楽があった。様々な方向から聴こえてくる音の波にのまれながら、ふと聴こえてくる声を読み解こうとする私達。


流れている曲はおそらくブライアン・イーノのアルバム「THE  SHIP」だろう。その時あまり確信を持てなかったのはその甘美な空間に没入しすぎていたからだった。展示タイトルの存在なんてとうに忘れていた。THE SHIPはタイタニック号や第一次世界大戦などをテーマにしたアルバムで、英語が理解出来る方ならそこで語られるポエトリーリーディングにも是非耳を傾けて欲しい。


次の展示作品のために2階へと降りる。作品名は「Face to Face」。


21名の実在する人間を特殊な技術で加工変形させていき、新しい人間のパターンを次々と表出させる。3万6千以上の曖昧で確かな人間を生み出すこの作品を観続けると果たして自分という人間が確かなものなのかも疑いたくなってくるのだ。


人種やジェンダーをミックスさせ、断続的に展開させることによって国籍などの箱の無意味さを表現しているように思えた。個人的にメガネの人から裸眼の人に変化する際に、うっすらメガネだけが取り残されていく姿が好きだった。


同じフロアの作品、「Light Boxes」はLEDによって(おそらく)規則的に変化する作品だ。


その淡く滲んだ配色に意味を見出そうとしたが、イーノが図録で語っていた「あなたが何かが起こるのを許し、それにしがみつき所有しようとするのではなく、身を委ねることはとてもいい経験なのです」という言葉の通り、消費するのではなくその体験が失われてくことにある種の快感を覚えていった。


そしてさらに下に降り、一階へと向かう。2006年に原宿でも一度公開されている「77 Million Paintings」だ。アメリカのクールな映画館のように低めのソファがいくつもおいてある空間に、まるでステンドガラスを神格化させた曼荼羅のような作品がそこにはあった。大きさや禍々しい色合いから最初は威圧的な印象を受けるが、ソファに座ってラフに鑑賞できるスタイルと相まって非常に心地の良い時間を過ごすことができた。



イーノのファンではなくても必ず楽しむことができる展示なので、皆さんも紫外線と共にこの展覧会を浴びに行って欲しい。京都の町並みとその異質な空間が、確かに同化していく感覚を味わってもらえるだろう。

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