「心から描く」Ghaku Okazaki


ぼくの名前は岡崎岳(Ghaku Okazaki)。
日本で生まれて、色々と流れて7年ほど前からドイツに住み、美術家として生計を立てている。


具体的には絵を売ったり、美術館やギャラリーとの契約やワークショップ、ドイツではわりと見つけやすい助成金やらアーティスト・イン・レジデンスなどを収入源にしている。ちょくちょく賞金稼ぎもしている。今のところ気ままにやっている。

去年の秋から縁があり、南ドイツのロイトリンゲンという小さな町に住んでいる。シュトゥットガルトの近くといえば車好きでピンと来る人もいるかもしれない。メルセデス・ベンツの本社がある、裕福な州の田舎町だ。


そこでぼくがなにをしているかというと、とある障害者施設と契約を結んで、施設の庭に彫刻(パブリックアートと俗にいう)を作るかたわら、住人たちに不定期で絵や彫刻のワークショップを提供しているのだ。
コロナ禍の影響で多くの展覧会がキャンセルや無期限延期になり、収入が大幅に減っている現状では、とてもありがたい。


さて先日施設に付属しているカフェで、その施設のある住人の個展をやっていた。彼女はビルギットさんという。具体的にどんな障害があるのか、彼女に関してぼくはほとんどなにも知らない。ただわかることは、なんらかの知的障害があることと、いつも車椅子に乗って移動していること、あとは彼女がとても穏やかで、フレンドリーな人だということだけだ。

ビルギットさんの絵は、一見すると抽象画に見えるけども、よく見ると植物の芽や葉、茎や根っこを思わせる。暖かい色と形で、明るくて優しい、それでいて生命の力強さを感じさせる、春の芽吹きのようなのびのびとしたいい絵だ。


彼女が描いているところにも何度か立ち会ったことがある。集中がふと途切れるまで無言で絵に向かい、小さな油絵をゆっくり時間をかけて描く。深く集中している横顔を見ると、おごそかさを感じさせる。絵の中の植物のような形が芽吹くのを、精魂を込めて世話しているような眼差しだ。

彼女の個展に並ぶ絵を見て、ぼくは思った。「こんないのちが宿った絵を描き、深い眼差しをもつ彼女を、一体誰が《障害者》と呼ぶんだろう?」ぼくら「健常者」と自称する人たちこそ、絵を描けば他人の評価を憂い、うまくいけば見栄や世間的な誇りに奢り高ぶったりする。または偏見に物事をまっすぐに見られなかったり、「自分にはできない」という劣等感に心を曇らせて、しばしばただまっすぐに描くことができない。ただまっすぐに、草木が育つようにのびのびと。


思うに、ぼくらは慢性的に、比べることに慣れてしまっているんではないだろうか。
自分が優位に立てればそれでいいと考える人もいるかもしれない。けれど「あの人よりも自分が優れている」という奢りを持つなら、その昂ぶった心はもう心の全部じゃない。その比べる相手と自分で分けて半分、2分の1の心になってしまうんだ。
その奢った心は、「あの人よりも自分が劣っている」という恐れと似ている。何れにせよ他との比較の中の2分の1に過ぎないからだ。
たとえウン100人もの人が参加するコンペティションで優勝したとしても、そのステータスを拠り所にするなら「ウン100分の1の自分」にすぎない。誇りにするに値しないちっぽけな了見だ。絵自体を心のまま描いているかどうかとは、何の関係もない。


ただ突き動かされるままに自ずから動くこと。自分の歌を心から歌うこと。100分の1でも2分の1でもなく、そうして分断される前の「1分の1」の全的な自己を開くこと。そして芽生える芽を抱きしめて、育てる力を養うことが、本当のいのちの絵を描くことなのではあるまいか。
これは実はある禅僧の受け売りなのだが、「1分の1は100000分の100000でもある」ウンヌン。ぼくもそう思うのだ。


しかしそんないのちを見つめる心の眼を開くことを、ぼくら現代人は学校でもどこでも教わりはしない。他人よりも優れていたり、単なる比較の上で「個性的」だったりすることばかりをどこでも説いては、頼りなく右往左往している。
本当は誰しも、心の中から湧き上がるいのちの声を聴く第三の耳を、見えないものを観る第三の眼を備えているんだ。それをただ開けばいい。余計な邪念は脱ぎ捨てていいんだ。


そんなことを、先日ビルギットさんの絵を見てつらつらと思ったんである。南ドイツでは、4月中頃までは当たり前のように雪が降る。寒くて長い冬が終わって芽を出す草木のように、いのちの力を慈しみ、育てるような彼女の絵に、色々と考えさせられたのであった。



 岡崎岳 Ghaku Okazaki 
美術家。日本生まれ、ドイツ連邦ロイトリンゲン在住。ブレーメン芸術大学 芸術学部、マイスターシューラー(博士号相当)修了。展覧会多数: Kunstverein Hannover, ハノーファー, ドイツ / Weserburg Museum of Modern Art / Municipal Gallery Bremen, ブレーメン, ドイツ / Karl Ernst Osthaus Museum, ハーゲン, ドイツ / Galerie Bodenseekreis, メールスブルク, ドイツ / Bon-gah’s Multifaceted Space, テヘラン, イラン / Roman Susan, シカゴ, アメリカ合衆国 / Greylight Projects, ホネンスブロエク, オランダ etc.
https://www.ikz.jp/hp/ghaku/


Artist photo by ©︎Konstanze Spät

-Column

Copyright© THEYSAY , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.