私は23年の人生の中で人を好きになったことがない。
もちろん恋人が居たこともない。
そんな20数年を過ごしていて分かったことはこちらがどんなに普通に過ごしていても、好きな人がいないというだけで「かわいそう」「変わっている」というレッテルを貼られるということだ。
好きな人が居たことがない、というだけで無条件で私より優位に立ったような口ぶりで話をしてきたり、大きなお世話だというようなことを平気で言ってきたりするような人もいる。
悲しいことに、私の出会った80%はそんな人ばかりだった。
そんな私に好きな人ができた。そして、気付けばその人が恋人になった。
自分自身に恋愛感情があったことに驚いたのだが、なにより驚きだったのは、羞恥や気まずさとの戦いであるということだ。あまりに歯の浮くような言葉を伝えたとき、自分自身が劇団員なのかと勘違いするときがある。
「私にこんな語彙が?!」と笑ってしまいそうなときがある。
恋人と話している時、なんとなく、誰か透明な人間が私の隣に座っていて、「マジ?あなたってそんな人間だったの?」と私自身に声をかけているような気がして身動きが取れなくなる時がある。
少ししたらそんなこともなくなるだろうと思っていたが、その人は地縛霊のようにいまも私の隣に居座っている。
なにか行動を起こすたびに私をじっと見つめて、私が一番言われたくない一言を耳元でささやいているような気がする。
そんな彼女は23年一緒に連れ添った自分自身なのだと思う。
なんとなく、恋をしている人やそれで一喜一憂している人を心の奥底で下に見ていたのだろう。私も同様に彼らに勝手なレッテルを貼っていたのだ。無意識のうちに冷めたような、バカにしたような目線を送っていた。
今になって、過去の私自身が貼ったレッテルが、今の私を過去の場所に縛りつけている。
そんな日々の中でも良い兆しはあって、今までなかった感情が巻き起こったり、食べ物や場所や行為など、うっすらと自分の中で嫌っていたものを、少しずつ好きになれるような感覚がある。
苦手なメロンが意外とおいしかったり、人を自分の買い物につき合わせるのも良いものだと感じたりする。
うっすらと自分の中で△や×をつけていたものに、〇をつけ直すような毎日になっている気がする。
それでも、まっすぐに恋人との時間を楽しめない瞬間もある。楽しめないというより、楽しんでも良いのかと懐疑的になってしまう。何も考えずにこの時間を楽しめたら…と感じるが、「はしゃぐな」という自分自身の目線に背筋をただす時がある。
そんななかで、私がこの地縛霊を育て上げたのですから、解決するまで付き合っていきます、と自分の中で巻き起こる気まずさや自分自身をバカにするような感情に目を背けず向き合う。
文字にしたり、人に伝えたりして思いを整理する。いつか過去の自分自身と今の自分自身をお互いに肯定できるように。うっすらと否定していたことを○にできるように。
明日も私はこの地縛霊を連れて恋人と出かけていくのだろう。
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