数ある別れの一つについて


それは新入生歓迎会、通称「新歓」でのこと。


テーブルの向こうの人が何か喋っている。

けれど聞こえない。


右目がヤバそうなのだ。


急いでトイレに入り鏡を見ると、予想通り右まぶたが元に戻っていた。


糊タイプのアイプチは時間が経つと溶けるのか、飲み会が終わる時間にはネバネバに液状化してしまうことをその時知った。こうなったら一度洗い流してから再度塗り、乾くまで2、3分待たなければならない。


こちらをはっきりと見る左目と、まぶたが覆い被さった右目と鏡越しに見つめ合う。すごい差だなあ。毎日飽きずに思う。


差がイヤなら左目のアイプチも外せばいいじゃないかって?


あり得ない。一重の顔は他人に見せるものではないって、その時は本気で思っていた。




なぜ二重にする必要があったのか。


二重に関する最古の記憶は、中学生の頃。同級生が「今日アイプチしてなくてヤバい」とか言っていた。いつもと全く変わらないその顔に、「女子高生っぽいこと言いたいだけじゃん」と内心取り合っていなかった。


色付きリップを最大の化粧としたまま高校を卒業した。

「やっとメイクができる!」でも、「女だからって化粧しなきゃいけないのダルい」でもなかった。


ただ女子大生になったから、化粧をし始めた。


インスタに流れてくるアイシャドウはいつも二重のまぶたに付いてるし、目は大きい方がいいし、ということでアイプチを始めた。


そこから毎日欠かさずせっせこせっせこ、まぶたに糊を塗る生活が始まる。


髪の毛を茶色以外に染めたり、自分なりの服の趣味ができたり、ギラギラアイシャドウはつけなくなったりしながらも、アイプチだけはやめなかった。


メイクというよりも、顔の前提だった。もちろん誰に何を言われるからという話でもなかった。(だから酷い出来であった)


整形を考えなかったのは、そんなお金があるはずもないからなのか、どこかで「二重じゃない方がいい」と思う日が来ることを予感していたからなのか。




完全にやめたのは3年ほど経ってからだが、その前に一度アイプチをなくしたことがある。これから友達と会うというのに、アイプチがない。



ヤバい!…とはならなかった。


え、焦らないんだ自分、と驚いた。


ああもう君はいらないのかもしれない、と思った。

その数ミリで勇気がでて、自信が持てた。


君なくては人と話せなかった。


そんな君がいないというのに、私は少しも落ち込まずに友達との会話を楽しんでいる。トイレに駆け込むこともない。


君のおかげで君が必要なくなった。





アイプチとの別れは、「自分の道」を歩むきっかけでもあった。


この服装が正解です、髪の毛はこれが正解です、目はこの形が正解です───


次々と用意される正解をクリアするよう頑張るのではなく、自分の道を見てみる。


服や髪に比べれば単一的で、身体にくっついてしまっている目は、それなりに人生に関与してくる。


メイクや整形という選択肢が増えることも救済かもしれないけれど、選択肢を作るほうがずっと楽しい。









以上が、私のまぶたに乗る別れについて。


ずっと元気なあの人にも、今日もむかつくあの人にも、別れがある。


恋人や友人、家族との別れ

コミュニティや組織との別れ

大事にしていたものとの別れ

好きだったもの、嫌いだったものとの別れ

あとから気づいた別れ

意外と忘れていた別れ



数ある別れの一つについて、ここに記していきたい。

Yurina Shibata
Yurina ShibataWriter

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