「この体型はいつになったら愛せるんだっちゅーの」 I Hate, I Love by Soesbe


母は中学時代と高校時代からの友達、2グループと20年以上経つ今も定期的に会っている。
その中にちょこんと座り、いつしか堂々と参加し育ったのが私
どうもソーズビーです。


昭和育ちのBBAたちはガキ1人をよく迎え入れてくれたと思う。
もしかするとよく思ってない人もいたのかもしれないけれど(笑)みんな快く参加させてくれた。
大人だけで話したいこともあったでしょうにね。
そうやって母の親友(以降オバ友と表記)と過ごしてきた一人っ子の僕は20年経ち、こんな出来上がりになるわけよ。
親には「残念でした。」とよく言っとくんだけど、私は心からオバ友との時間が楽しかったし、いつまでも参加したい。

私の個性を作り上げた第一要因だと思うので誇り高い。


そんなオバ友同士の会話で唯一私が空気を読み黙るのが、みんなでアルバムを見返してキャーキャー言っている時だ。
「若い!懐かしい!!」
「うわーこんな馬鹿したよねー」
「あのチェリーマートのおばさん死んだ?」「まだ生きてんの?!」


私の生前の思い出話なんかどうやっても入れない。でも聞いていて楽しいし、そんな彼女たちにすごく憧れたのよ。
なので高校生になってから自分も母みたいに1年毎アルバムを作ることにした。

昨今は昭和と違い写真の価値が下がりまくりのため、撮影量が半端なく、アルバムに載せられない写真があまりに多い。
どの写真を残そうか、将来見返す私や友達はアルバムを見て何を感じたいのだろうか。
これを考えるプロセスがなかなか哲学的。
どうでもいいLINEのスクショとか、買い食いした時に何故か撮ったコンビニの棚の写真とか思わず消しちゃうんだけど、
日常的すぎて忘れていた記憶を思い出すのもアルバムの醍醐味だと思うと、一気にどうでもいい写真が愛おしく思えてくる。


「このLINEスタンプ、今見るとめっちゃお洒落じゃん」
「このコンビニ菓子パンよく食べてたー!見るからに身体に悪いじゃん、若いよねー」
そうやって将来ダベってそうだとシーンが見えてくる。


写真の整理をする度に思うんだけどさ、一年前の自分ってすごく若い!
なのに写真にうつる服装や姿勢やポーズから、当時は自分の体にコンプレックスを持ってたことを思い出す。
けれど写真を見返すたびに思う。全然痩せてるじゃん!!!
痩せたい願望の当事者はいくら痩せても十分に感じないスパイラルの中にいるけれど、時間が経って客観視すると案外丁度良かったりガリガリだったりする。
2年前の地元アメリカに住んでたときの写真を見返すと、渡米前よりはそりゃー太ってたけど、あれはあれで可愛らしい。
しかも肌は綺麗だし、なんかめっちゃ楽しそう。

とある診断テストによると私は常に将来のことを考える「未来志向」と言う癖を持つ。
将来の夢への憧れを考えるだけでハッピーだし、頑張れるのと同時に、常に不安。
このアルバム作りをしてるのもまさに未来志向だよね。
一見、先見の目があって良さそうに見えるこの癖だが、現状を冷静に見られないという弱点がある。


将来なりたい体型への執着や、白人の遺伝はすぐに老けるから若いうちからアンチエイジング!!!など
将来の不安ばかりが進行して、現在自分が持つ肌・髪のみずみずしさやハリに目を向けられない。
そしてアルバムを見るたびに十分に可愛かった自分を見て
「なんでもっと素直に楽しめなかったんだろう」と後悔するのだ。


天てれ出演当時(12歳)の写真が出るたびに
「ソーズビー昔は超可愛かった」
「あんなに天使だったんだね」
ってよく言われる。ハーフの可愛さってあんなもんじゃないのよ皆さん。
私よりも天使フェイスなハーフってこの世にもっと溢れてたの。
同世代の天使たちは大概インターナショナルスクール育ちのGAPモデル。バラエティなんか出ないわ。
なので当時は自分でも「かの”天使ピーク”、まだきてないな〜」って冷静に思ってた。
その後も来ず、今に至る。
周りにも日本人寄りのハーフだねなんて言われてたもんで、自分が天使だった記憶がないのよ。
なのに今更何よ!当時にちゃんと「天使のようで可愛い」と言ってくれればよかったのに。


ここで私は重要なことに気が付く。問題は自分なんだと。
生きていると周りには自分よりももっと若くて可愛い人、頭の良い人、キャリアの持つ人など沢山いるから麻痺してしまう。
でも現状に自信を持てず、自分の持ちモノを大切にできないで将来後悔をするのは自分だ。
過去の写真を見返すたびに思うんだから。同じことの繰り返しよこれ。

そう考えると本質的に「周りとの比較」ってクソどうでもいいわけ。
てか「周り」はどうでもいい。

そもそもアルバムを見返すって、一見過去を振り返ってるってことで心に毒そうだし、確かにあまり意味はないと思う。
だが自分が一番忙しくしていた時の写真たちって、若さと同時に努力をしていた記憶が鮮明。
当時をベストに生きていた自信が当時も今もある。
なので写真を見て若さに驚くと同時に「そりゃああんなに頑張ってたもんね」って、ちゃんと過去にできる。


高校時代そんなに世話にはなってないけど、イケメンだったよねぇくらいに記憶のある、経済・社会の教師が言ってた。
「プロのサッカー選手になりたかったし、すごく良い線までいった。結果叶わなかった。でも後悔は何一つない。」
なんでと聞かれこういった。
「全てを捧げたから。睡眠も青春も、勉強やバイトのできるの時間も全て犠牲にして、両立という範囲内でできることは全てやった。
それで出た結果がプロになれないということで悔しかったけれど、やり切った分ある意味スッキリもした。すぐに次の夢が明確になった」
趣味で続ければいいじゃん。という問いに
「絶対に嫌だ。プロ志望当時の瞬発力や洞察力の衰えた自分にすぐ気がつく。ベストの自分がいなくなるのが辛すぎた。
観戦と教えだけでも十分に満足ができるようになった。」
あんなに清々しくも嫌な気にならない挫折話は聞いたことがない。もっと彼に話を聞けばよかった。
大卒直後の彼は少し太り始めていたけど、質の良い自信に満ちていたのであれはあれでとても似合っていた。

要は耳タコフレーズなんだけどさ、
今を全力で生きていれば、後悔することってないのよね。
そうすれば”太ってきた”とか”疲れやすくなった”自分も受け入れて、エイジングを楽しめると思うの。
無茶のない努力は怠らず、あり物を大切にする。
体型だけではない。住処も生活も友達も、時間もそう。


最後に、アメリカ人は日本人の自虐ネタを全然理解してくれない。
あっちも自虐はあるにはあるみたいなんだけど、日本人のは笑えないんだって。
「i love my body」ってワークアウトしてもぽっちゃりな体型で露出したアメリカ人女子。
あれを馬鹿にする日本人は多いのだけど、逆ですよ。
自虐しながら他人を批判し、自己どころか他者も愛せていない。
恥ずかしがって真っ直ぐに頑張れないのが馬鹿にされているし、ハッピーじゃないんだから。


現状を大切に出来ない者にそりゃあ明るい未来は限られますわ。
逆に自分で身の回りの恵みを見つけられるなら、どんな状況でも幸せなはずなんだけどねん。

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