編集長にTHEY SAYで寄稿してほしいと言われたとき、嬉しい気持ちと不安な気持ちが半々だった。
こんな無名のパンピーがメディアで書く意味なんてあるんだろうか・・・?
でも、THEY SAYの哲学には強く共感していたし、
自分の周りの身近な誰かに、考えるきっかけやポジティブな行動力を与えられる人間でいたい
というのが、私の人生のテーマでもあったので、個が社会に与える影響が大きくなりつつある今、“自分の周りの身近な誰か” が “記事にたどり着いてくれた知らない誰か” でもいいんじゃないかと思い、引き受けることにした。本コラムでは、いわゆる優等生で生きてきた私が、日本のスタンダードを破り、日米を往復する生活をしていく中で、感じたことや問いかけたいことを寄稿していこうと思う
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私は、福岡で生まれ育ち、大学入学とともに上京し就職し、20代後半で大手企業を辞めて単身渡米した。
地元は不良がたくさんいるような場所で、登校中にヤクザの朝会みたいなのを目撃したこともある。
シンナー、変質者、エアガン、暴走族・・・という言葉が並べられた注意喚起のプリントを毎日のようにもらって帰り、親は私立のいい学校へ進むことも提案してくれたが、私はこの環境でサバイブすることを選んだ。普通の人間になりたくなかったのだ。
中学校はとてもエキサイティングだった。学園ドラマでみるような、トイレの中に閉じ込められて水をかけられるような虐めも目撃したし、生徒の親が学校に殴り込みに来るのも目撃した。でも、体育祭や合唱コンクールなどイベントごとになると、いじめっ子もいじめられっ子もみんな一丸となって取り組み、感動の涙を流すこともあった。
わたしは虐められないように、そしてできれば虐められている人を助けてあげられるように、かっこいい自分を演じられるよう頑張った。テストではいつも1番になる、運動もそこそこできるようになる、容姿もダサくならないように、できればイケてるように、常に完璧でいられるようにする。
ナメられないように、普通にならないように、人とちょっと違った存在になれるように。
14歳の自分にとってはすごく重くて精神を病みそうになったこともあったが、博多のヤンキーたちに紛れて過ごしたこの幼少期が、後につながるサバイブ精神や正義感を培ってくれたのだと思う。
高校では地元の有名進学校に進学した。
音楽活動に励み、大切な友だちもできて楽しかったが、理不尽なルールや教育指針が窮屈だった。
飽きやすいわたしは自由と刺激を求めて上京した。
上京するにはいい大学に行かないと親に申し訳ないという気持ちもあり、有名大学に進学した。
大学では美大出身の教授の元、理系学生としてデジタルアートや地域活性化に関わることを学んだ。
また、この頃から海外に興味を持ちはじめ、時間を見つけては旅に出ていた。
そんな流れで就職先は、某有名広告代理店の子会社を選んだ。
育った環境のこともあり、小さい頃から社会に対する疑問や反感が強かったのだが、そういった問題をアートの力で解決できるのではないかと考えたからだった。
初めての社会人生活はとても楽しかったし、そこで培った人脈は今でもかけがえのない財産となっている。
ただ、どうしてもこうなりたいと思えるような大人に出会うことができなかった。
No と言えない人間が働かされて心身を壊していく現実偉くなったような気になって世の中を卑下する大人たち
広い世界にいるようで、実際は狭い世界の中で生きている自分が嫌になった。
そんな時に、誰も自分のことを何も知らないところで生きてみたいと思った。そんなこんなで勢いで2018年に日本の大企業を辞めて渡米した。
アメリカでは紆余曲折あり、アメリカ国内での転職も経て、日米に税金を納めつつ、今は両国を往来するパラレルキャリアを実現している。
このコラムでは、働き方・価値観に焦点を当てて、日本のみんなが世界を知り、現実と向き合い、行動するきっかけになるようなトピックを共有していきたい。
Chie
Born and raised in Fukuoka and currently working in Tokyo/LA. Now I split my time between Japan (Fukuoka / Tokyo) and the United States. I’d like to inspire young people in Japan to appreciate cultural differences.